働く女性の立場で1960年代、乳児保育所設立運動に関わった元戸畑市職員・新地美智子さんに、一枝保育所設立の経緯を聞く

北九州市子ども家庭局保育課が仙水町へ強行移転を考えている一枝保育所が、一枝地区/戸畑区にとってどういう存在であったのか、設立の経緯を知る元戸畑市/北九州市職員・新地美智子さんに詳しい話を聞いてきた。
Q:新地さんはどういう立場で保育所設立に関わってこられたのですか。
新地:私は元々、5市合併前の戸畑市の職員で、組合の婦人部に所属していました。
当時はまだ働く女性を支える保育所施設が非常に少なく、市の職員のためだけでなく、働く女性のための施設が必要だとして、組合や地域の方々と乳児保育所設立の運動を行なっていました。
その成果、戸畑市として当時の予算で1000万円が計上され、乳児保育所が建設されることが一旦は決まっていたのです。
しかし5市合併の影響で保育所建設は白紙に戻ったのですが、多くの働く女性にとって乳児保育所が絶対に必要だとして、組合をはじめ多くの地域の方々が設立運動を続け、3年がかりでようやく1964年6月九州で初めての「乳児保育所」が一枝に開設されたのです。
当時のスローガンとして「いきいきと働き続けられる職場を作りましょう」が掲げられ、戸畑区にはそれまで3歳児以上を預かる保育所は4箇所あったのですが、九州でも初めての0歳児、1・2歳児を預かる「乳児保育所」がこの一枝に開設されることになったのです。
全文は「マックス北九州ニュース」(北九州メルマガ/無料)にて。
※記事へのご意見はこちら