田母神俊雄前航空幕僚長が政府見解を否定する論文を公表し更迭された問題は、ますます拡大しつつある。前空幕長だけでなく、自衛官78人が、問題となったアパグループの懸賞論文に応募していたという。自衛官に「近現代史」について考えるなと言うつもりはないが、少なくとも公表を前提の懸賞論文に、政府見解と相反する主義・主張をつづり応募することは、シビリアンコントロール(文民統制)を否定することに他ならない。
田母神氏以外の自衛官の論文は公表されていないが、もしその内容が田母神氏の論文と同様のものであったとすれば、由々しきことである。自衛隊の制服組は、組織ぐるみで、公然と政府批判をしていたことになる。背広を着た文官の言うことなど聞かないと言っているに等しい。暴走と言っても過言ではあるまい。
防衛省が「庁」であった時代から、自衛隊を見続けてきた友人が「これはクーデター前夜だな」とつぶやいた。「背広(内局組・文官のこと)のトップに、守屋(前事務次官、収賄・議院証言法違反で有罪判決)みたいなのがふんぞり返っていたら、制服組(武官)は『こんなやつらの言うことが聞けるか!』となるよ。ある意味、たるんだ背広組への反発もあったのかな・・・」と語るが、「危険な兆候」と心配する。公然と政府見解を批判したのも同然の田母神論文や、78人もの自衛官が歩調を合わせ、同じ懸賞論文に応募したことは、従来なら考えられないことだという。
昭和初期に起きた5.15事件、2.26事件。主役として歴史に名を残す青年将校の大半が「尉官」だったことは広く知られている。今回、問題の懸賞論文に応募した自衛官に「尉官」が多かったことも自衛隊ウォッチャーの友人は「不気味だ」という。(注・旧軍時代は少尉・中尉・大尉、自衛隊では3尉・2尉・1尉)
軍人(友人は『自衛官は軍人である』と主張する)が自己の価値観の発露を外に求める状況は、まさに昭和初期と同じではないかともいう。「杞憂に終わって欲しい」と付け加えたが、確かに、たかが懸賞論文と侮ることはできまい。
「いつか来た道」を感じ取る日本人は、友人だけではないかもしれない。