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特別取材

PB(プライベートブランド)がもたらした功罪(2)
特別取材
2009年11月18日 08:00

売場活性化の一方で、売上げ、利益は減少。 PBは流通不況の福音にはならない。

当時の新聞広告 ロゴマークは田中一光、コピーは小池一子
2. 新発想で誕生したPB、無印良品

 ダイエーが立て続けに価格訴求型のPBを導入する一方、西友は既存NBへの対抗軸として「ノーブランド」の開発に打って出た。それが「無印良品」である。
 1980年、西武セゾングループの総帥、堤清二は、グラフィックデザイナーの故田中一光に「ノーブランドで高品質」のPBをグループ傘下のスーパー西友で発売したいと、開発を持ちかけた。
 当時、池袋の百貨店という野暮ったさを払拭すべくイメージ戦略の強化を進め、かつ脱・大衆消費社会を志向して文化路線を突き進んでいた西武セゾングループは、商品開発一つをとっても従来の小売業とは違った発想で取り組んだ。それが無印良品であり、田中一光の起用だった。
 無印良品は、コピーライターの糸井重里、アートディレクターの浅葉克己、イラストレーターの石岡怜子といった気鋭のクリエーターを多数起用し、西武ブランドを魅力的に発展させたセゾングループの風土で醸成され、見事にマーケットを開拓した。
 実際にそれほど価格は安くないのに、「わけあって、安い。」という小池一子のキャッチコピーのもと、スーパー系ブランドとしては瞬く間に全国的な知名度を擁するまでになったのである。


◎無印良品というブランドカテゴリー
発売当時は西友で販売する日用品に限定。今日のような衣料品や家具はない。
 発売当初の商品は、洗剤やティッシュ、お茶、味噌・醤油などの日用品約40アイテム。その名のごとくパッケージは極限まで簡素化され、商品名と材料などの仕様が印刷されただけ。徹底してムダな装飾は省かれ、コスト削減の部分は価格に還元された。
 しかし、ダイエーのPBとは違い、ブランドバリューの浸透を目指す商品だったため、広告宣伝にはかなりの投資がなされた。そのため、結果としてそれほど低価格を訴求するPBにはならなかったのである。
 逆にそのユニークなコンセプトや、異業種の人間が開発に当たるという発想、商品一つ一つに書かれたコピー的なメッセージは、それまでのNBにもPBにも見られなかったもので、「無印良品」という新たなブランドカテゴリーを作り上げていった。
 田中一光が「商品の本質から距離のある周辺の部門をできるだけ節約し、商品の本源的な部門の水準は高いけれど、価格は安くできるのではないか」と語っていたのを、筆者はその頃通ったコピーライター養成講座で学んだのを今でも鮮明に記憶している。
 83年には東京・青山に直営1号店を出店し、翌84年には西友の店内でもインショップ化。無印良品は一気にNB化し、89年に西友から独立。その後の発展は周知の通りで、今日、世界を代表するライフスタイルブランドとして、定着している。

(つづく)

【剱 英雄】


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