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検証・新日鉄と住金の合併 北九州経済に与える影響は?(10)再合併して誕生した新日本製鐵
発信!北九州
2011年7月19日 07:00

<日鐵分割による八幡製鐵と富士製鐵~20年後に再合併して新日鉄の誕生>

新日鉄八幡製鐵所は1901年(明治34年)に操業を開始 北九州は関門海峡に接し、大陸に近く陸海の交通の要衝であった。戦前は軍需工場もあり鉄鋼を中心とする日本有数の重化学工業地帯であったため、甚大な空襲の被害を受けたが高炉の火は絶えることはなかった。北九州地区は戦後復興には欠かせないエネルギー源の炭鉱を後背地に抱え建設資材の鉄鋼を中心とする「石炭と鉄鋼」の街として再び活気を取り戻していった。

 1950年(昭和25年)4月1日、「過度経済力集中排除法」により日鉄は八幡製鐵(株)・富士製鐵(株)・日鐵汽船(株)・播磨耐火煉瓦(株)の4社に分割された。八幡製鐵所は八幡製鐵が所有することとなり、輪西(室蘭)・釜石・広畑・富士製鋼所(神奈川県川崎市)は富士製鐵が所有することになった。
 同じ年の6月に朝鮮戦争(6月25日~1953年7月27日)が勃発し、この戦争による特需景気は日本産業界を活気づかせたが、特に大陸に近い北九州はその恩恵を大きく受けた。

 富士製鐵と分割された八幡製鐵所は58年(昭和33年)、戸畑の海岸埋め立て地に最新鋭の鉄鋼一貫生産工場を建設。翌年東洋一の高炉が完成するなど、以後、八幡地区から戸畑地区への移行を進めていく。

 70年3月31日、日鐵の分割から20年後に八幡製鐵と富士製鐵が合併し、新日本製鐵株式會社が発足する。
 その後、粗鋼生産の中心は新鋭の君津製鐵所や大分製鐵所に移行。八幡製鐵所は、72年八幡区にあった東田第一高炉を休止し、90年に本事務所を八幡地区(枝光)から戸畑地区(飛幡町)へ新築移転するなど、戸畑地区へ集約。
 北九州地区は、石炭から石油へのエネルギー革命で後背地筑豊の石炭産業の衰退及び新日鉄発足による八幡製鉄所の役割の低下などもあり地域経済が縮小。一方、日本国内では高度成長が続くなか、三大都市周辺や太平洋ベルト地帯などの大消費地に近い地域への工業立地が進んだ結果、産業構造が素材産業に偏っていた北九州市の地盤は次第に沈下していく。

(つづく)

【北山 譲】

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