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小倉・魚町 起業家支援で商店街の再興~中屋興産(株)(前)
発信!北九州
2011年8月 2日 07:00

 「魚町銀天街」―1951年(昭和26年)、日本で初めて公道上にアーケードを作り、全国各地の「銀天街」という名称の発祥地となった商店街である。溢れんばかりの人で賑わいを見せていたこの商店街も、近年は北九州市の人口減少などに伴い、かつての面影は薄くなっている。そのようななか、起業家支援から商店街の再生を目指す取り組みが注目を集めている。

<魚町の隆盛と転換>

 JR小倉駅からほど近い魚町銀天街。かつてはさまざまな商店が軒を連ねて大いに賑わいをみせていた商店街だが、今ではメイン通り沿いの商業ビルでさえ空きテナントが目立つ。その古い街並みのなかで、若者たちの出入りがひときわ目を引くビルがある。それが今年6月にオープンした民間インキュベート施設「メルカート3番街」である。
中屋興産(株)の梯(かけはし)輝元社長 築50年のビルの1、2階部分の延べ床面積は約200m2。そこに若手起業家が経営する15~40m2程のカフェなど、洒落た小規模店10店舗が軒を連ねる。古ビルと若者たちを惹きつける店舗との組み合わせは一見すると奇異に映るが、この点につき、本件の仕掛け人でビルの所有者でもある中屋興産(株)の梯(かけはし)輝元社長は「若い起業家たちには、古い建物のあるがままの価値を活かそうという構想を理解してもらいました」と語る。
 北九州市主催の小倉家守構想検討委員会に参加し、リノベーションの発想を得た同氏は、「起業の助けになるのなら」と考え、1m2あたり2,000円という破格値でフロアを提供することにしたのだそうだ。同所でカフェを営む女性は、「漠然と起業したいという思いがあったが、ここで相談に乗ってもらううちに具体的なかたちになってきました。今起業しなければ、一生できなかったと思います」と起業に至るまでの想いを語ってくれた。

 魚町銀天街の歴史は、北九州市の隆盛と凋落をそのまま映し出す。1963年の5市合併を経て成長を遂げた北九州の人口は、早くから100万人を突破。とくに商業の中心地とされた小倉地区は、市民の食卓をあずかる旦過(たんが)市場を中心に隆盛期を迎え、市場の入り口に位置する魚町銀天街も大きな賑わいを見せていた。中屋興産が貸しビル業に進出したのもこの頃で、同社が魚町地区の興隆に果たした功績は今でも高く評価されている。

 しかし、産業構造の変化とその後の急速な高齢化の進展により、昨今では経済の地盤沈下が著しい状況が続く。小倉をはじめとした中心市街地では官民一体で街の活性化への取り組みが繰り広げられてきたものの、これまでの施策は再興への決定的な決め手とはなっていないというのが実態ではないだろうか。企業誘致や大型商業施設を呼び込む従来型の施策を完全に否定するわけではないが、もはや限界に近づいているのではないかとの疑問も生じる。

 そのようななか、同社が行なっている民間インキュベート施設の設立という取り組みは、古い町並みに新たな賑わいを呼び込む手法として評価に値する施策と位置付けられるべきと考える。

<街に尽くす経営者の系譜>

 中屋興産(株)の創業者・梯虎平氏は、徳島県川島町の農家の次男として生まれ、明治期後半に当時の八幡町に移住。昭和初期に、炭鉱景気に沸いていた小倉の魚町へと移ってきたという。当時、小倉には全国各地から人が集まり活気に沸いており、虎平氏もその1人であった。小倉へ移住した虎平氏が始めた金物店、それが同社の起源である。その後、金物だけでなく電気店も併せて営み、最盛期には50人以上の従業員を雇うほどに成長を遂げる。現代表の幼少時代、休日ともなれば小倉魚町の商店街は溢れんばかりの人でごった返し、店にも人だかりができていたと同氏は回顧する。

 70年代に入り、同社は1つの大きな決断をする。金物・電気店から貸ビル業へと業態を変更したのだ。バブル期には不動産の仲介業にも進出し、先々代の梯輝雄、先代の梯邦明両氏は、街の活性化に尽くした人物であった。しかし、バブル経済の崩壊と共にテナントが退店するなど空きが目立ち、仲介手数料を含めた不動産収入は減少していった。

 現代表の梯輝元氏は学卒後、同社へ入社。不動産管理業務に従事し、94年8月に代表に就任した。そこで不動産取引と密接な関係があり以前から興味のあった司法書士の勉強を始めることになる。ビルの階下にあるゲームセンターで店番をしながらの勉強は予想以上に大変で、ハードな勤務と勉強で体を壊す寸前であったとのことだが、99年に合格。その後は不動産管理業と司法書士業務の二足のわらじを履く生活が続くことになる。

 幾度かの転換期を乗り越えながら現在の事業を軌道に乗せてきた梯代表だが、同氏にはどうしても気にかかることがあったという。それは地元、魚町商店街の凋落振りである。見渡せば、商店街には空き店舗が増え、幼少期から知る友人も店を閉めていたりと、商店街は完全に活気を失っていた。「自分が育った街の現状を打破したい!なんとかしたい!」との強い想いに駆られた梯代表は、その想いを行動に移していった。

(つづく)

【新田 祐介】

| (後) ≫

COMPANY INFORMATION
中屋興産(株)
代表者:梯 輝元
所在地:北九州市小倉北区魚町3-3-20
資本金:3,200万円
URL:http://www.nakayakousan.co.jp/


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