NET-IB NEWSネットアイ

ビーニュース

脱原発・新エネルギーの関連記事はこちら
純広告用VT
カテゴリで選ぶ
コンテンツで選ぶ
会社情報

コダマの核心

福岡地所を復興させた男~八木聖二さんご苦労さん!!さようなら(1)
コダマの核心
2011年8月10日 10:07

<人材に恵まれた榎本一彦オーナー>

八木聖二氏 今週12日の株主総会において、福岡地所の社長である八木聖二氏が代表社長のポストを降りる。現在、東日本大震災の復興が叫ばれているが、この流行語『復興』を使うとすれば「八木聖二氏は福岡地所を復興させた功労者だ」となる。「どのような復興功労か」は次回で詳細に触れるとするが、ひと口で言えば「1,000億円(グループ)の借金を背負っていた福岡地所から借入をオフバランスに成功させた功労」ということだ。その救世主・八木聖二氏が社長を退くことになり福岡地所は新たな時代に突入することになる。

 福岡地所の創業者である榎本一彦氏のまわりには素晴らしい逸材が集まってきた。今も福岡地所の取締役である藤賢一氏や藤木辰正氏などはその代表だ。藤氏は長年、商業施設の開発に携わってきた。同氏は現在、中国 南京で商業施設運営を託され、上海にコンサル会社を立ち上げてオーナー経営を展開している。藤木辰正氏もグループ内のスーパー小売・ホテルの経営の先頭で活躍してきた。一彦氏の周囲に結集してきた人材は単に優秀な専門家集団という域を超えた経営集団のレベルであったのだ。その頂点に八木聖二氏がいたと言える。

<事業継続を真剣に追求してきた一彦氏>

 榎本一彦氏が高校・大学のころから、ロイヤル創業者 江頭匡一氏は「ロイヤルの事業は一彦に継がせよう」と、ねらいを定められていたという有名な逸話がある。一彦氏は若いころからそれだけ偉才を誇っていたのだ。裏を返すと、若い時から福岡の偉大なオーナー経営者との親しい関係を築けるチャンスに恵まれていた。そして、その最たるものがダイエー創業者 中内功氏(※)との邂逅であった。ここから榎本氏は何を学んだのか? 結論から言えば「オーナーの独善は一代で会社を消滅させる」という鉄則を盗み取ったということだ。

 現実、一彦氏の祖父・四島一二三氏が起こした福岡相互銀行(後の福岡シテイ銀行)には叔父である四島司氏が二代目を継いだ。だが残念ながら二代で四島経営の幕は下ろされた。身内の経営する銀行が三代も続けることが不可能であったという現実に直面して一彦氏がショックを受けたことは想像できる。「福岡地所をどう永続させるか」を不眠不休で自問自答してきた。そこに八木聖二氏が2000年に福岡地所へ飛び込んできた。

 八木氏は1968年4月の日本債券信用銀行(日債銀)(現在、あおぞら銀行)に入行した。2歳年上の一彦氏とは同名古屋支店で勤務していたと聞く。八木氏の有能さに関しては関係者誰しもが認めるところであった。42歳で取締役に抜擢され、46歳で常務に上り詰めた。日債銀だけでなく都市銀行内では一色の出世街道を走っていた。ところが日債銀の経営陣のスキャンダル(刑事事件に発展)に巻き込まれて八木氏は銀行に見切りをつけた。同氏の卓越した能力から鑑みれば東京でいくらでも活躍の舞台はあったはずだ。しかし、本人としても「東京を離れたい」という意向が強かった。ここが一彦氏の強運の為せる業である。1998年6月に八木氏を福岡地所の専務として招来したのだ。まだこの時点では「次期社長に」は一彦氏の脳裏には確定はしていなかった。

(つづく)

| (2) ≫

※ 中内功氏の「功」は、たくみへんに刀

*記事へのご意見はこちら

関連記事

powered by weblio


コダマの核心一覧
純広告VT
純広告VT

純広告用レクタングル


IMPACT用レクタングル


MicroAdT用レクタングル