現在、発電に関する新エネルギーについての議論が盛り上がっている。ではそもそも、現在の電力体制はどのような歴史を辿ってきたのだろうか。ここでは、「電力の鬼」と言われた松永安左エ門(まつなが・やすざえもん、以下松永)の生い立ちから電力事業への関わりまでを見ることで、改めて電力体制のあり方について再考する材料としたい。なお、今回の取材にあたって、「壱岐松永記念館」管理人の定村隆久氏に、事実関係の確認や画像使用などの件でご協力いただいた。以下、定村氏の言葉を交えながら、松永の人物像と電力会社の歴史に迫ってみよう。
<引退した「電力王」>
しかし、この5大電力会社体制も、日中戦争の激化にともなってあっけなく終焉を迎える。国家総力戦体制が構築されるなか、「電力事業は国家が統制すべし」という国策のもと、1938(昭和13)年1月に「電力国家統制法案」が第1次近衛内閣において国家総動員法案などと一緒に提出された。なかでも「電力管理法案」は電力会社、道府県、民間企業など全体を対象に、日本に存在するすべての電力施設を国家が接収・管理するという趣旨の法案だった。
当然、電力業界は猛反発。とくに民間主導の電力会社再編を主張し「電力王」の異名をとっていた松永は、一貫して戦争に反対していた。法案提出に先立つ1933(昭和8)年、軍閥に追随する官僚たちに対し「官吏は人間の屑」と言い放った。
これらの言動は「天皇の勅命をいただいているものへの最大な侮辱」と大問題になり、新聞に謝罪広告を掲載する事態に追い込まれる。当時、企画院総裁だった鈴木貞一からも「あなたは重大なリストに載っているから、手を引かないと危ない」という忠告も受けた。
1939(昭和14)年、半官半民の日本発送電が設立され、同社がすべての電力を管理することが決定した。1発電9配電体制の確立である。これが現在の9電力会社体制(沖縄を入れて10)につながる。それにともなって、東邦電力は1942(昭和17)年に解散し、これを期に松永は引退。戦後まで所沢の柳瀬荘に再び隠遁し、茶道三昧の日々を過ごした。
【大根田 康介】
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