<決断できない日本人>
『決断できない日本』(ケビン・メア著)が売れている。著者は「沖縄はゆすりの名人」に代表される一連の共同通信の記事で更迭された元米国国務省日本部長である。その真偽のほどは定かでない。しかし、ここでは、外国人の目から見ると、より顕著に見える日本人の「決断力」のなさに関して考察してみたい。
経済界でも、最近はオリンパスの「損失かくし」などの問題しかり、この日本人の決断力のなさがクローズアップされている。オリンパスの例で言えば、歴代の役員が損失をひた隠し、外国人社長が暴露するまで、公表を決断できず先送りしていたのだ。その病巣はそうとう根深い。
世界に誇る社内の優秀な技術者も泣くと思うし、彼らに申し訳が立たないであろう。最終的には日産同様、外資に乗っ取られ、怪しげなグローバル企業になってしまうのか。そんな茶番は繰り返して欲しくはない。
最近の日本人に「決断力」が欠けていることは、今更ケビン・メア氏に指摘されるまでもなく皆感じていたことだ。しかし、今まであまりその是非は問われなかった。そればかりか、その曖昧な概念を美化する考え方さえあった。
ところが、3.11の東関東大震災や福島原発事故以降、その考えは大きく変わった。この時点で、政治家に「決断力」がないことが、国民の生命を脅かすことを我々は知ったからだ。政治決断が遅れたために、多数の死者が出て、多くの人が住み慣れた土地を奪われた。今後も内部被ばくなどを含めて、被害の拡大が避けられない状況になっている。これは日本政府に「決断力」なかったことによる人災である。
決断力のない政治家は、百害あって一利なしだ。当時、国民は、枝野官房長官の「ただちに影響がない」というフレーズを耳にタコができるほど聴かされた。専門家に言わせるとこの文言は口語体(話し言葉)ではなく、文語体(書き言葉、作文)らしい。おそらく、誰かが書いたものをただ読んでいただけなのだろう。その陰で多くの被爆者が出た。素人が考えても、「ただちに~ない」という文言は、将来は影響が出ることを予測した表現とわかるだろう。恐ろしいことだ。
政治とは、本来、ぶつかりあう価値や利害を調整し、最終的な決断を下す営みだ。政治家に求められる資質の一番は「決断力」なのだ。
最近、経済産業省を退職した古賀茂明氏によると官僚もこの「決断力」が欠如していると言う。政治家も官僚も財界人も決断力が欠如している。日本という国はどうなっているのか。
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