山口県光市で1999年に母子2人が殺害された事件で殺人や強姦致死などの罪に問われた元少年の被告人(30)の死刑が確定することになった。2月20日、被告人の上告審で、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)が上告を棄却する判決を言い渡したからだ。被告人は、大月(旧姓福田)孝行。犯行時18歳1カ月だった。事件と判決が問いかけた課題を追った。
<罪質はなはだ悪質>
判決理由は、被告人の犯行について、被害者宅のアパートの一室で当時23歳の主婦を殺害して姦淫(かんいん)し、その犯行の発覚を恐れて当時生後11カ月の被害者の長女を殺害したのであって、「罪質ははなはだ悪質であり、動機及び経緯に酌量すべき点は全く認められない」と指摘。犯行当時少年だったなどの酌むべき事情を十分考慮しても、「刑事責任は余りにも重大」として、差し戻し控訴審の死刑判決を「是認せざるを得ない」と結論付けた。
事件から13年。被告人への5回目の判決が出した結論だった。1審、2審(差し戻し前控訴審)判決は無期懲役、第1次上告審で最高裁は、被告人の生育環境について「特に劣悪であったとまでは認めることができない」と指摘し、18歳になって間もないことでは「死刑を回避すべき決定的事情とはなり得ない」として2審判決を破棄差し戻した(2006年6月20日)。差し戻し後の控訴審判決は「極刑の可能性が出てきた後は虚偽の弁解や反省を口にし、死刑回避の事情を見出すすべもなくなった」として死刑を言い渡し、被告人側が上告していた。
<償いきれないこと>
犯行時少年への死刑の是非や被害者遺族の参加をめぐっての加熱報道が続いてきたが、妻と子を殺害された本村洋さん(35)の言葉が、事件の投げかけた意味を象徴していた。本村さんは判決後の記者会見でこう述べた。「勝者なんてない。犯罪が起こった時点で、みんな敗者です」。
被告人が死刑になっても、殺された母子は生き返ってはこない。世のなかには償いきれないことがあるのだ。だからこそ、被告人自身が心底から反省しなければ、言葉だけ、あるいは死刑を回避せんがための謝罪には何の意味もないし、被告人の更正も期待できないだろう。
今回、死刑を妥当とした事情として、判決理由は、「強姦及び殺人の強固な犯意の下で、何ら落ち度のない被害者らの尊厳を踏みにじり、生命を奪い去った犯行は、冷酷、残虐にして非人間的な所業」「その結果も極めて重大」「殺人及び姦淫後の情状も芳しくない。遺族の被害感情はしゅん列を極めている」と指摘。「平穏で幸せな生活を送っていた家庭の母子が、白昼、自宅で惨殺された事件として社会に大きな衝撃を与えた点も軽視できない」こともあげた。
<内省は深まったのか>
差し戻し前の上告審で死刑の可能性が出てから被告人は殺意を否定する「新供述」を始めたが、「母に甘えたいと思って抱き付いた」「ドラえもんがなんとかしてくれると思った」などの主張には「荒唐無稽」との指摘があった。
今回の判決も、殺意と強姦目的を否定する新たな主張をしたことを「不合理な弁解」として、「真摯な反省の情をうかがうことはできない」と批判した。
被告人の「新供述」に基づいた事件の動機や構図は否定され、被告人にとっては逆効果に終わったとも言える。
刑事訴訟法は、その第1条で「事案の真相を明らかに」することを目的にしている。
被告人自身が犯した罪に向き合うことがなければ、虚構の論理に過ぎず、説得力を持ち得ない。
被告人が手紙に「被害者さん(中略)ありゃーちょーしづいてる」「7年そこそこで地上にひょっこり芽を出す」などとした内容が1審判決後に判明し、被告人が法廷で真実を語っておらず更正ともほど遠いという心証を抱かざるを得なかった。
今回の判決後の報道からは罪への苦悩が伝えられるが、内省がどれだけ深まったのか。
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