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となりの新華僑・華人の知恵

となりの新華僑・華人の知恵~「小心、決心、恒心」(中)
となりの新華僑・華人の知恵
2012年4月17日 10:26

<となりの新華僑・華人と経済交流>
0417_sinkakyou_1 第1回は、大学院時代を含めると、在日24年になる魯学海氏にご登場頂いた。魯氏は、現在コンピューターゲームやスマートフォンのアプリを開発しているIT企業、(株)上海互恵JAPAN(東京都千代田区)、上海互恵信息技術有限公司(上海、無錫)を経営、東京と上海を忙しく往復するする事業家だ。

上海互恵は2001年上海で設立され、06年に日本に進出、10年末には、中国地方政府の援助も受け、無錫進出を果たしている。

<下放(文化大革命の政策)も塞翁が馬>
 毛沢東の文化大革命の政策「下放」(※注3)がいかに奇妙で、すごいものか改めて実感した。魯氏の場合、1966年、中2の16歳で延辺に下放されている。当時の中国では、1966年~1976年までいっさいの学校教育が行なわれていない。現在、中央政界で活躍している幹部の多くは、77年以降に大学に入学した人たちだ。

 魯氏は「自分は運命にとても恵まれた」という。下放された延辺で、中2以降学校教育をいっさい受けずに、延辺大学大学院の入学試験に合格している。延辺大学大学院(修士課程)を卒業後、1988年、筑波大学客員研究員として来日。1990年、筑波大学大学院に入学(東洋哲学)して、博士課程を修了、哲学博士になった。博士号取得と同時に、中国延辺大学初代日本研究所長として帰国する。

※注3:下放(かほう)とは、毛沢東の文化大革命の政策の一つで、学校教育が中断、知識人、学生が地方に送り出された。

<日中友好・経済交流に貢献する>
 延辺大学初代日本研究所長という、学部長レベルは約束された、前途有望な役職を捨ててまで、なぜ起業したのか。

 それには、魯氏流の論理がある。「自分は、日本留学を推挙してくれた大学への恩返しのつもりで大学に戻りました。しかし、大学の教授、学部長でも、単に教員の一人に過ぎません。私は、日本にいる時から、将来は日本に住んで、"日中友好・経済交流に貢献する"ことを決めていました」その為に妻、子供は日本に残して中国に単身赴任している。まさに筋金入りである。

<「小心、決心、恒心」がとても大切>
 魯氏からは、日中経済交流のキーワードとして「小心、決心、恒心」を授かった。
 「小心」(xiaoxin)とは、用心深く慎重にすることを意味し、「決心」(juexin)とは文字通り決心することであり、「恒心」(hengxin)とは、いつまでも変わらない意志のことをいう。
 一番大事なのは「小心」であるという。用心深くするのは当たり前でないのか。今さら強調する意図は何か。

 その問いに以下のような答えを得た。「日本の会社の多くは、中国ブームと言えば、焦ってとにかく出ていくだけで、まったく無手勝流です。どのビジネスにおいても焦ってはいけません。時期も大事ですが、それ以上に十分な用意が必要です」続けて「多くの日本企業は、中国のことを理解せずに進出しています。それでは成功することが難しいのです。たとえば、ある程度の法律は知っていても、慣習的な部分にまで理解が及んでいないケースが多いと思います」

 確かに最近の中国の経済成長は目覚ましいものがあり、同時に法整備も急速に進んでいる。
しかし、実際にそれを守る人たちの意識が変わるのには、まだまだ時間がかかるのが実情だ。その認識ができているのといないのとでは、ビジネスの成否が大きく分かれる。

(つづく)
【金木 亮憲】

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