2008年2月になり、メガバンクは、今泉の土地に対する3カ月借換の融資をさらに更新することの困難さを懸念し、当該土地の32億円を3カ月切替のプロパー融資から、竣工までの2年間シンジケートローンに切り替えることを提案してきた。少しでも他行をシンジケートに入れ、自行のリスクを削減する意図もあったろう。私も、なるべく融資を長い期間のものに切り替えておくことは妥当と考えたので、その申し出を受けることになった。
ただし、このシンジケートローンにはコベナンツ(制限条項)を付けてきた。具体的には利益は営業利益の黒字を維持することと、純資産の高を一定以上維持することである。これに加え、着工は売買契約の締結後とすることも条件づけられた。
このような騒動の末に、10年3月には大分ホテルの決済延期である。結局、大分ホテルは当該ファンドへの売却を断念し、私は、銀行に対して当該土地を抱えるために借りている融資を延長する交渉を行なった。
トレンドの変化は明らかであった。いよいよ"砂を噛む日々の始まり"である。
<銀行の報告要求が強まる>
08年4月、社長交代とともに新しい期が始まった。
私も6月の総会後に常務という予定であり、3月末の適時開示ののち、証券会社や銀行から白のワイシャツ生地を何枚もいただいた。しかし、このような空気のなかで決して浮かれた気持ちにはなれなかった。
今後、売却が遅れている物件の借入期限が次々とやってくる。
今泉土地の借入32億円は2年間のシンジケートローンに切り替えられたため、当面心配はしなくてよくなった。しかし、大分の土地は9億円ほどの残高だったが、3カ月ごとの切替となった。それに、札幌駅前で開発予定の土地を別のメガバンクの融資により17億円で取得していたのだが、これも08 年6月までに開発型証券化に移行する、という条件で融資を受けていたが、売却先が決まらなければ証券化など不可能であるため、これを何とか期限延長してもらわなければならない、という課題もあった。
私は、やむを得ないことと腹をくくって取り組むことにした。
企業の経営者ならば身に染みていることだが、銀行ほど会社の経営状況次第で手のひらを返したような対応をする人々はない。業績がいいときは、どこも会社に訪問してきて、是非次回の土地は当行でさせてください、と丁重にすり寄ってくるが、いったん経済の歯車が逆転を始め、売却・返済が困難になると実に冷たいものである。私も、07年12月に米系投資銀行の態度変化で異変を感じてからわずか3カ月で、そのような気分をいやというほど思い知らされた。
大分ホテルは、当初の08年3月売却の予定がずれ込んだことにより、まずは建物竣工資金3億円を借り増しする交渉をしなければならなくなった。それは当初より予備枠を取ってあったので何とか実現したが、その後の売却までの保有期間は、わずか3カ月、そしてそれでも売れず8月に再延長した後は、1カ月ごとの借換となった。
札幌の土地の資金はメガバンクから借りていたが、これは6月の開発型証券化への移行が絶望となっていた。私としては竣工までの延長を求めたが、銀行はそれを一切受けず、当初は、どうぞ延滞してくださいといわれ、最終的には、当行が「継続的企業の前提に関する注記」(GC注記)がつく引き金を引くのは嫌だからと、かろうじて1カ月ごとの延長を受けただけだった。このことも後に詳しく述べる。
この1カ月ごとの延長も、もちろん自動的に更新していくようなものではなく、回を重ねるほどに対応が厳しくなっていった。社長を呼びつけて説明をさせたり、審査が延びたといって期限日の午後になって福岡から書類を持って飛んで来いなどといわれたものだ。そのような対応などせずとも、こちらも努力をしているし、結果も変わらないと思うのだが。
それに、札幌土地の資金が1カ月借換となったことが、(もちろんそれだけではないが)監査法人の心証を悪くし、結果的には、当社は08年4~6月の第1四半期からGC注記を付けることになった。
このようにして幾多の新興デベロッパーが融資を絞られ破綻していったのである。
<プロフィール>
石川 健一 (いしかわ けんいち)
東京出身、1967年生まれ。有名私大経済学卒。大卒後、大手スーパーに入社し、福岡の関連法人にてレジャー関連企業の立ち上げに携わる。その後、上場不動産会社に転職し、経営企画室長から管理担当常務まで務めるがリーマンショックの余波を受け民事再生に直面。倒産処理を終えた今は、前オーナー経営者が新たに設立した不動産会社で再チャレンジに取り組みつつ、原稿執筆活動を行なう。職業上の得意分野は経営計画、組織マネジメント、広報・IR、事業立ち上げ。執筆面での関心分野は、企業再生、組織マネジメント、流通・サービス業、航空・鉄道、近代戦史。
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