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となりの新華僑・華人の知恵

長城コンサルティング(株)・張佶社長(1)~中学校卒で名門北京師範大学へ
となりの新華僑・華人の知恵
2012年5月31日 11:30

 今回、ご登場頂くのは、来日26年、長城コンサルティング(株)の張佶社長である。
 張氏は、経営学修士号を持つ日本生産性本部認定コンサルタントで、社団法人コンピュータソフトウェア協会(CASJ)の理事である。日本と中国とのオフショアビジネスでも草分け的存在として知られている。

0531_syatyou.jpg 張氏は、1970年、17歳で中学校を卒業。当時は文化大革命の最中であり、すべての高校、大学が休校であったため、北京にある首都鋼鉄公司の工場に就職している。記者は、寡聞ながら、文化大革命では、若者はすべて地方に行き、農業に従事するイメージがあったので、意外に感じた。

 「私は恵まれていました。北京の中学にいたことや、取り巻く環境が一定の基準にあった為、地方でなく北京の工場に産業労働者として就職できました。産業労働者は一般の新入社員に比べて、3倍の賃金を貰えたのです」と張氏は言う。

 その張氏が大学に入学するのは、77年の事である。毛沢東の文化大革命は、76年に終わり、とう小平の指示で大学の入学試験が復活したのだ。
 張氏が受験した名門北京師範大学の日本語専攻は、定員20名に対し、北京市だけでも2,000名を超える応募者があったが、一発で合格を果たしている。

 張氏は、産業労働者としての勤務は、特に不満ではなかった。ところが、文革中は、工場の規律は乱れており、労働環境が安全でなかった。製鉄所だったから非常に危ない。張氏は3回続けて「死」に直面した。勤務1年目に同じ中学の友人が事故で死亡、2回目は自分がガス中毒で倒れ、死線をさまよった。3回目は「ガン」の疑いで直腸手術を経験している。このころから、自分の人生を真剣に考えるようになったという。

 とにかく、工場で働く生活から抜け出ることを考えた。ちょうど、「日中国交回復」で日本の田中首相が中国を訪問していた時である。張氏の故郷は、黒龍江省富錦県の大地主である。張氏のおじさんが、偶然、田中首相が黒龍江省で兵役についていた時代、一緒に働いた経験があることがわかったのだ。そのことがきっかけになり、日本にとても興味が湧いて、すぐに、本を買ってきて、日本語を独学で勉強し始めた。

 記者がインタビューさせていただく同年代の中国人は皆ダイナミックだ。張氏は中学校卒業から直接大学へ、小学校卒業から直接大学院というケースもある。その間、学校教育は一切行なわれていないので、みな独学なのである。習近平・次期国家主席をはじめ、現在の中国政界・財界の幹部は皆同じ世代である。

 今、日本では、大学の在り方、大学の価値、大学の存在意義そのものが問われている。

 政治制度(文化大革命)と全く切り離して考えてみても、何か、議論するに値する"ヒント"が含まれている気がした。

(つづく)
【金木 亮憲】

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