「世界はできるだけ広くゆっくりと住むに限る」というおおらかな信条を持ち、まだ民族の壁が分厚かった頃の朝鮮半島において活躍した林業技術者、浅川巧。
1914年、23歳で朝鮮半島に渡った彼は、朝鮮の山を緑に戻す、という大きな使命を抱えながら、地元の人と文化を愛し、朝鮮語を熱心に学んで人々と心を通わせた。
1914年は、日本が大韓帝国(朝鮮の当時の国号)を併合してから4年後にあたる。日本の風習や価値基準を押し付ける日本人がほとんどであった当事の朝鮮において、浅川巧は時代の色に染まることなく、己の信条を貫いた。朝鮮服に身を包み、朝鮮人の同僚、チョンリムとの友情を育み、友が異民族間の相互理解など儚き夢だと嘆けば、「夢であったとしても、それに向かって行動することに意味があるのではないですか」と励ました。
また、彼は、白磁の壺や碗、膳やタンスをはじめとする朝鮮工芸品の美に魅せられるという、審美眼の持ち主でもあった。しかも鑑賞するだけでなく、これらの収集と研究を重ね、民芸運動の祖である柳宗悦に大きな影響を与えた。
40歳で夭折した際、哲学者の安倍能成は、「こういう人の損失が朝鮮の大なる損失であることは無論であるが、私はさらに大きく、これを人類の喪失だというに躊躇しない」と記したという。
白磁のように真っ白な心で生きた、浅川巧の半生の道程を、ぜひ、一緒にたどってみて欲しい。
■日韓共同制作映画「道―白磁の人―」
<監 督>
高橋伴明
<主 演>
吉沢悠(浅川 巧)、ぺ・スビン(チョンリム)
<上映時間>
119分
<公開日>
平成24年6月9日(土)
<公開劇場>
T・ジョイ博多、T・ジョイリバウォーク北九州、T・ジョイ久留米 ほか
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