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原発事故で気がついた~何が大切かということ
社会
2013年6月26日 16:24

 6月中旬、東区社領の福岡中小建設業協同組合のショールーム「陽だまりホール」で、東日本大震災をきっかけに福岡に避難している人たちの交流会が開かれた。住み慣れた土地での生活を捨て、仕事や家族や経済的な豊かさを失いながらも福岡や長崎で新たな生活を歩んでいる人たちが、「放射能フリー・OK定食」を楽しみながら、九州の豊かさ、原発事故をきっかけに気がついたことなどを語り合った。

<「おいで福岡」が企画・主催>
 この交流会を企画・主催したのは、おいで福岡プロジェクト。福島からの避難者の呼びかけに応じ、子どもたちを高濃度の放射能から守りたいと考える母親たちがつくった。一時休止中だが、避難者のためのシェアハウスの運営もしている。当日は、共同代表の田中歩さんと江崎睦子さんのほかスタッフ数名が参加。今回は会えなかったが、同プロジェクトには、支えられる側から支える側に回った避難者もいるそうだ。田中さんは、会場となった陽だまりホールを使って、「バンビの木箱」というお母さんたちのための学び場・語り場を設けて、子育て支援活動をしており、当日出された食事は、「バンビの木箱」で料理教室をやっている先生のお手製。原発事故後、食に悩んだ経験がある避難者にとって、放射能の心配がない、安心な食事や飲み物は、とてもありがたいおもてなしだった。

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<九州の地が教えてくれた新しい幸福感>
 参加者のうち避難者は7人。小さな子がいる人が3人、20代の子がいる人が2人、20代の若者が2人。いずれも子やまだ見ぬ孫たちへの影響を懸念し、放射能に汚染された住み続けることに限界を感じて避難してきた。茨城県から3歳と5歳の子を連れて来た人は、「保護者が除染をしないといけないし、除染がされていないところもある。地震も頻発している。子どもたちを安全な環境で育てたかった」と避難の動機を話した。5歳の子を連れて関東から来た人は、10年前から脱原発活動を行なっていた。「国や自治体は除染もしてくれない。除染した土を東京電力に渡したが、返された。焼却炉に放射性物質が漏れ出さないようなフィルターをつけるように求める運動を行なった後、子どもの健康を第一に考えて、故郷の福岡に戻った」と原発事故後の苦悩を語った。夫の兄弟が原子物理学専攻だった人は、「原発事故直後に東京から大阪に避難した。猫も含め家族全員で移ることができる住居を探し、仕事もある福岡にした」と、避難先をとくにゆかりがない福岡とした理由を話した。
 7人のうち福島からの避難者は50代と20代の男性。ともに最初は鳥栖市に避難し、今は半数以上が65歳以上の離島、長崎市高島に住んでいる。島の人々からは、「島のものは何でも使っていい」と温かく迎えられている。50代男性は、「妻が生産地や製造記号番号を見ながら、2時間もかけて買い物をするのを見て、野菜を育てることにした」と話し、育てた野菜を福島に送る活動にも関わってきた。彼は、避難後、「三半規管がおかしくなる、視力が大幅に落ちる、右目がななめにかすむ」などの生活に影響を与えるような体調不良に見舞われるが、病院では「異常なし」とされた。東電に請求予定とはいえ、大きな経済的損失も抱えている。しかし、避難後の満足度、幸福度は高い。「生き方が180度変わった。お金をかけなくても、必要最小限度のものがあればいいと気づいた。家族や健康、時間こそが大事だとわかった」としみじみと話した。高島では、お金がなくても「子どもの笑顔」で野菜を購入できるシステムにしているという。
 残り5人の関東からの避難者は、「物価が安い」、「食べ物が安全、安心でおいしい」、「周りの人が親切」、「子どもの面倒を周りの人がみてくれる」、「とても暮らしやすい」と口々に話した。

<懸念される玄海原発の再稼働>
 記者自身も4月からの避難者だ。避難にあたっては、「神経質過ぎる」、「自分たちだけ助かろうとしている」などと否定的な意見も投げかけられただけに、同じような心の傷を抱える人がいるのではないかと考えていた。また、いろいろ困ったことがある人がいるだろうとも思っていた。しかし、ほかの避難者は、とてもパワフルだった。現在は無職となっている人が、「収入以外は困ったことはない」、来年から小学校に通うこととなる子がいる2人が「給食が心配」と話す程度で、「困っていることがない」人がほとんどだった。そして、「今」をとても肯定的にとらえていた。

 九州は物価が安いので、収入がそれほど多くなくても暮らしていくことができる。家族など自分が大切に考えているものを最優先に考える生き方は、幸福な気持ちをもたらしてくれる。失うことによって、かえって何が大切かも見えてきて、ささいなことでも幸せを感じられる。そんな思いをこの2カ月半くらい漠然と感じてきたが、記者と同様の思いを他の参加者は語ってくれた。避難者仲間の話を聞きながら、安全でおいしい食事を食べながら、ちょっとしたことに大きな幸せを感じられるようになったというのは、実はとても幸せなことかもしれない、と改めて思った。

 「今」に満足している避難者だったが、そのほとんどにとって計算外だったのが、佐賀の玄海原発。安全だと思って移った先でまた事故が起きないよう、再稼働反対運動をしている人、しようとしている人もいた。参院選に避難者代表として立候補して再稼働反対を訴えようとしている人もいた。九州の人たちのためにも、大きな犠牲を払ってようやく今の安寧を見つけた人たちのためにも、安全な状態が末長く続くことを、心から願いたい。

【石坂 文】
▼関連リンク ・おいで福岡プロジェクトhttp://oidefukuoka.com/ ・バンビの木箱 HPFacebookページ


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2013年6月14日 15:45
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