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濱口和久「本気の安保論」

パラオに生きる日本の心(勇気)~ペリリュー島玉砕戦
濱口和久「本気の安保論」
2013年8月27日 13:31

<ペリリュー島での日本軍の奮闘>
parao.jpg 中部太平洋に浮かぶ南洋諸島の最南端にパラオ諸島がある。パラオ諸島は1543年にスペインが発見して統治を開始し、その後、ドイツが買収し、第一次世界大戦まではドイツ領であった。その後、大東亜戦争終了までの31年間、日本の委任統治領とされて、自治が認められていた。
 日本の敗戦後はアメリカの統治下にあったが、1980年にパラオは独立国家として大統領制をとり、国名をパラオ共和国とした。実に約400年間に渡り、外国の統治下に置かれていたのである。ところが、その400年間のうち、日本統治時代が一番良かったと、現地の人たちは回顧している。

 それは、現地の人たちに日本が実施した日本流の教育成果と、在留邦人が現地の人たちとよい関係を構築したからだとも言われているが、それよりも強い印象を彼らに与えたことがある。パラオ諸島のなかにある小さな島であるぺリリュー島を守るために、群がり来るアメリカ軍を相手に玉砕するまで戦った日本軍の勇猛果敢な戦闘ぶりへの敬愛の念からだと言われている。

 日本軍にとって大東亜戦争末期、フィリピン防衛上、ペリリュー島は重要な拠点であった。一方、アメリカ軍を指揮するマッカーサーにとってペリリュー島は、フィリピン奪還にあたって、どうしても攻略しなければならない拠点であった。
 日本軍はアメリカ軍の攻撃に対して島内に深く洞窟を構築し戦ったが、日本軍の弾薬・食糧は底をつきはじめ、死傷者が続出する。73日間の戦闘の末、1万2,000名いた守備隊のなかで健全者はわずかに50数名を残すのみとなる。日本軍守備隊長の中川州男大佐は、パラオ地区集団参謀長宛てに訣別の電報を打ち、最後の突撃攻撃を実施し全員が玉砕した。

<日本の文化・風俗が残るパラオ>
 アメリカ軍は占領後、ぺリリュ―島の西海岸を「オレンジ・ビーチ」と名づけた。日本軍との戦闘の末、美しい海がアメリカ軍の血の色でオレンジ色に染まったからだ。この戦闘で、ぺリリュ―島は文字通り焦土と化し、現地の人たちの建物も緑も生活も破壊されてしまった。

 日本軍は現地のパラオ住民が戦火に捲き込まれないように、夜間、空襲を避けながらパラオ本島に退避させる。戦争が終わり、帰島し、彼らが見たものは日本兵の戦死した遺体の山であった。彼らは日本兵の遺体を葬り、墓を作った。
ペリリュー島には、昭和9(1934)年に「南興神社」が建立されていた。現地の人たちは昭和19年の玉砕戦で、神社が破壊されるまで、同神社を「ペリリュー神社」と呼称して、島の安泰と繁栄を祈願してきた。戦後、「ペリリュー神社」を再建し、戦死者1万名もあわせ合祀せよと要望したのは、同島尊長イサオ・シゲオ氏の母で(日本名)沖山豊美という老女であった。

 今もなおパラオには、日本語や日本の文化・風俗が色濃く残っている。

<パラオの国旗は日の丸とデザインが一緒>
 パラオは、独立に際して、国旗のデザインを全島から募集したところ、秀作が70点ほど集まり、そのなかで日本の日の丸と同じデザインが選ばれた。ただし、日の丸の部分が、黄色、白地の部分が青とした。パラオの人たちはその理由を次のように説明している。

 私たちは国旗の選択に相当苦労した。応募者はことごとく各島の人々であり、それぞれの旗にパラオの歴史と伝統がこめられていた。だから、選考委員は真剣であった。選考には日数をかけた。でも最終的にはこの旗に決まったのは、日本の旗に一番似ているので、最大の人気が集まった。日の丸の部分を黄色にしたのは月を表す。周囲の青地は海を意味する。月は太陽が出ないと輝くことができない。つまり月は太陽によって支えられ、月としての生命を持つ。太陽とは日本のことなのである。海に囲まれたパラオという国は、日本の太陽の反射によって輝かねば生きられないのである。我々はまた、戦争中に日の丸を掲げて強力な米軍と交戦した日本軍将兵の勇敢さと純粋さに、魅力を感じ、大きな尊敬の念を捧げている。1万におよぶ英霊たちは私たちに、勇気と国を想う心があれば、アメリカよりも強くなれることを教えて死んだのである。

 パラオ共和国独立を記念して、ペリリュー島守備隊を讃える歌もつくられた。今では、ぺリリュ―島神社も現地の人たちにより再建され、戦没者1万名も合祀され護国を守る英霊となって祀られている。日本軍への尊敬の気持ちは、今もなお、パラオの人たちの心に刻み込まれているのである。

■濱口和久氏講演会のお知らせ
 9月5日(木)午後5時から午後7時まで行なわれる第2回マックスクラブ講演会で、濱口和久氏が政治をテーマに講演します。演題は「本当にあった永田町怪談『日本の政治、ここがアブナイ!』」。詳しくはコチラ

<プロフィール>
hamaguti_p.jpg濱口 和久 (はまぐち かずひさ)
昭和43年熊本県菊池市生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、民主党本部幹事長室副部長、栃木市首席政策監などを経て、テイケイ株式会社常務取締役、国際地政学研究所研究員、日本政策研究センター研究員、日本文化チャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」キャスター、拓殖大学客員教授を務める。平成16年3月に竹島に本籍を移す。今年3月31日付でテイケイ株式会社を退職し、日本防災士機構認証研修機関の株式会社防災士研修センター常務取締役に就任した。『思城居(おもしろい)』(東京コラボ)、『祖国を誇りに思う心』(ハーベスト出版)などの著書のほかに、安全保障、領土・領海問題、日本の城郭についての論文多数。5月31日に新刊「だれが日本の領土を守るのか?」(たちばな出版、現在第4版)が発売された。 公式HPはコチラ


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