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「断行せよ 信念の前に不可能なし」~四島一二三伝(12)
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2013年12月 9日 07:00

 笠戸丸で知られる本格的なブラジル移民が始まったのは1908(明治41)年だが、これは日本人による移民史に新たな段階を記すものだった。彼らは当初から定住を想定して海を渡って行ったのだ。結果ではなく目的として。

 ハワイへの官約移民にせよ、一二三ら北米への移民にしろ、その内容は移民(イミグレーション)と言うよりは出稼ぎ、あるいは現代の感覚で言えば単身赴任とでも表現すべきものであった。ほとんどの場合「いずれは帰国する」というのが前提になっていた。
 しかし、ぼちぼちと現地で生まれた2世も増えてきていたし、親戚や縁者が紹介する相手を見合い写真で決め、女性が異国へ嫁いでくる「写真結婚」も増えてくる(実はこの「写真結婚」という慣習が「野蛮な風習」としてアメリカでの排日攻撃の大きな材料になっていく)。
 いずれにしても、1900年代の半ば以降、出稼ぎ感覚から現地定住へと、日本人の移民社会は変化を見せていた。いや、定住するか帰国するか、その選択が迫られるようになっていった。

clock2.jpg 結論から言うと一二三はアメリカで妻帯もせず定住もせず、やがて日本へ帰国するのであるが、その辺の心情を記した資料はあまり残っておらず、胸中は今となっては推測するしかない。
 大きな要因として挙げられるのは「土地所有禁止法」で、日本人がアメリカで土地を持つことが不可能になったことであろう。まず1913(大正2)年カリフォルニア州で「外国人土地法」が成立、移民・帰化法で指定された「帰化不能外国人」(日本人も含まれる)の土地所有が禁止された。
 1920(大正9)年に成立した「排日土地法」では、日本人は土地の所有どころか借地小作もできなくなった。1924年には新規移民が完全に禁止される。これ以降、第二次世界大戦下の強制収容に至る排日の歴史を詳細に語ることは本稿では避けるが、アメリカでの生活、そしてビジネスが困難になっていった背景を知っておいていただきたい。

 この間、第一次世界大戦(1914年~1918年)、ロシア革命(1917年)と世界史は大転換期に入る。連合国の一員として戦勝国となった日本は「一等国」の仲間入りをし、一方アメリカとの対立が本格化していった。太平洋を挟んで両国国民は感情的にも次第に離反の度を強めていった。

 「外国人土地法」の成立と前後して、一二三は1年間ほど大分市に居住している。1913(大正2)年から翌年にかけてのことだ。
 この時、一二三は帰国への布石を打っている。アメリカでの資産をかなり処分して、自らも朝鮮半島へ渡りその資金で朝鮮に土地を購入しているのだ。実はそれまでにもアメリカからの送金で土地を購入していた。そして農園の経営は長兄の平太郎に任せていた。土地は全部で三百町歩くらいになっていたという。

 再渡米の後、1918(大正7)年10月、一二三はアメリカでの生活をすべて引き上げ故郷へ戻ってきた。21年間のアメリカ滞在であり、一二三は38歳になっていた。
 
 滞米中は「ジョージ・シシモ」と呼ばれ、サンタポーラの農園で日本人労働者のボスであっただけでなく、サクラメントに640エーカー(260町歩)の土地を買って馬鈴薯を作り、販売を行なっていた。日本人による土地所有に制約があった状況を考えると、法人で所有していたのだろうか。また貨車1輌分の米を買って日本人に販売するといった事業も手掛けていたそうだ。
 農業という枠を超えて、ビジネスを手広く展開していた「事業家・四島一二三」の姿が見えてくる。

 80歳になった時、一二三が以下のように口述している。
「私のいた頃は、よい意味での発展時代の西部の姿が残っていました。そのなかで、個人主義の観念、責任と義務をはっきりさせることを、生活の中から学びとったのは、大きな収穫だったと思っています。」(『回想 二宮佐天荘主人 四島一二三さん&記念館の風』より)

 彼の子や孫に、在米中の次のようなエピソードを折に触れて語り聞かせた。
 あるときアメリカの測量士と一緒に仕事をしているとき、子どもを連れてきてよいかと聞くので承諾したが、三歳になるその幼児が石につまずいて転び大きな声で泣き始めた。あわてて抱き起こそうとすると、その測量士から「僕の息子には手も足もある。自分で起きるよ。ほっといてくれ」と怒られた、というものだ。
 小さいときから独立心を養い、またお互いの人格を尊重するアメリカ人の姿は、己の人格形成に大きな影響を与えたと自身も認めていたということだ。このエピソードを語る一二三を、子の和子や司、あるいは孫の榎本兄弟はどのように感じていたのだろうか。

(つづく)
【坂本 晴一郎】

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