2024年04月19日( 金 )

現代の日本医療に必要とされるもの(1)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

カマチグループ 会長 蒲池 真澄 氏
九大病院第一内科 教授 赤司 浩一 氏


 カマチグループの蒲池真澄会長(75)と、九州大学医学研究院 病態修復内科(第1内科)の赤司浩一教授(55)はともに日本医療界における慧眼の士であり、同じ九州大学医学部で学んだ先輩と後輩の関係にある。大病院グループの経営者と活躍する九大医学部教授――両医師の歩みは一見真逆にも思えるが、ともに国際レベルで活躍し、広い視野をもって今後の日本医療を思い、患者目線でその在り方を真摯に自問する姿には共通するものがある。


家庭での看取りが難しい時代に

 ――日本の医療業界は来るべき超少子高齢社会に対応すべく、地域包括ケアシステムの構築を含めたパラダイムシフトの渦中にあります。厚労省は、団塊の世代(約800万人)が75歳以上となる2025年を目途に、高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで、可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう、地域の包括的な支援・サービス提供体制(地域包括ケアシステム)の構築を推進しようとしています。この現状をどのように見ていますか。


左から蒲池真澄会長、赤司浩一教授


 赤司浩一教授(以下、赤司) 私は地域医療について考える際は、まず「地域によって求められる医療は違う」ということを念頭に置くべきだと思っています。都心と過疎地、日本と海外、欧米とアジアでは求められる医療、看護は変わります。医療機器が十分でない地域ではカウンセリング能力や看護・介護への理解が深い医療が求められるでしょうし、都心部のように人口が多い地域では、多人数を診療するなかでさらに医療の質を高めることが求められるでしょう。過疎地であれば、医師の存在そのものが求められます。蒲池会長が運営されている救急医療と回復期リハ医療に重点を置いた仕組み作りも、地域から求められる医療を展開するためだと言えるでしょう。


 ─―地域包括ケアシステムについての国策を見ると、「住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最期まで続ける」とある通り、在宅での看取りが大きな特徴のように思えますが、現在は病院での看取りが非常に多いようですね。


 蒲池真澄会長(以下、蒲池) 確かに今は病院で亡くなる人が圧倒的に多いですね。私が医師になる前は家庭で看取るのが普通だったように記憶していますが、昭和30年代の終わりぐらいには、もう病院で死ぬ人がだいぶん増えていたという印象が残っています。今は家庭以外にも、老人介護施設や老人ホームといったいわゆる「病院以外」の看護、介護場所が増えました。これにともない、このような施設で医療機関との連携を取りながら看取りまで面倒をみるという方針になりつつあります。当院にも、老人ホームで老衰を迎えた人や脳卒中の後遺症が残っている人たちのなかで、肺炎、心不全などの合併症を発し死に直面した場合、転医のために運ばれてくることが多くなりました。


 ―─それでも病院で亡くなる方は、7割以上いるそうですね。家庭での看取りは難しいということでしょうか。


 赤司 家庭での看取りは確かに難しくなりましたね。昔と違い、核家族、共働きで常に家庭にいる立場の人が少なくなったのに加え、独居老人も増えました。家族が看護、介護を担うのは大きな負担となります。ただ「病院外での看取り=家庭」という印象もあるようですが、ここで求められているのは家庭だけではなく施設も含めて「病院以外」の場所で看護、介護ができる場を作ろうという意味です。病院での看取りは延命のためにさまざまな医療機器の管でがんじがらめにしてしまうこともあります。これはスパゲティ症候群と称し問題にもなりましたね。このような悲惨な状態で延命するのではなく、もっと尊厳のある状態で自分らしく最期まで暮らしてもらいたい、その結果、病院以外での看取りがある、という意味なのです。


 蒲池 国の後押しもあることから、看取りができることを入居者へのメリットとする施設も増えました。しかし、家庭、つまり住民票がある場所での看取りに対する世間の認識はどれほど整っているのでしょうか。当院には在宅部もありますが、家庭から往診に来て看取ってほしいと言われて行くことが、昔より少し増えたぐらいのようです。


 ―─国はできるだけ病院以外で看護できる場を増やし、医療費負担を軽減させるのが最優先事項なのでしょうか。


 赤司 確かに最優先事項の1つではあると思いますよ。


 蒲池 しかし、人が亡くなるときの看取りのあり方で最も難しい問題は、その家庭内での状況にあります。人間関係、経済的状況、住居内の間取りなどの状況が大きく影響を与えますから、医療以外の視点で考えていかないといけないことがたくさんあります。


 ─―家庭内の看取りは医療以外の諸要因が複雑に絡み合っているのですね。海外でもご活躍されているお二人にとっては、国によって「死」に対する捉え方の違いも実感されたのでは。


 赤司 確かに日本と欧米では根本的に死に対する倫理観が違いますね。ほかの国でも宗教的見解によって死への価値観も変わるとは思いますが、欧米などのキリスト教圏内だと、人間は死んだら土に帰るものであり、「魂が抜けた死体は物体である」と割り切ることができるところが、日本人とは違う、と感じます。日本人は「肉体そのものに魂が宿る」と考えますね。


 蒲池 葬式のムードも違いますね。キリスト教の土葬に喪主として立ち会ったことがありますが、魂が天使のようになって召天するとか、明るい印象がありました。しかし日本では「死」について、政府も医師も触れたがりません。


 ─―日本で「死」を論じる難しさがそこにはありますね。

(つづく)
【聞き手・文:黒岩 理恵子】

 

関連記事