2024年03月29日( 金 )

元「鉄人」衣笠氏が斬る!~ファウルの見方

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 最近、気になる打者たちが出てきた。そしてこの私の意見には、多くの見方があることだろう。野球の打順は多くの個性の集まりであるから、それぞれの役割によって見せ方が違うことはわかる。

 日本シリーズにも出場してきた日本ハムの1・2番打者に代表されるプレー方法で、打席でわざとファウルを打つことにより、投手に多くのボールを投げさせて四球を選んだり、疲れを待ったりする。何か、一昔前の野球の方法論を見ているように感じた。
 打席で、打者はヒットを打つためにバットを振るのであって、ファウルを打つためにバットを振るのではないと思う。

 たしかに昔、そのような方法を教えられたことがある、これは、日本の野球の発展の歴史と関連していて、アメリカでこのような方法をとれば、ブーイングを浴びることは間違いない。

baseball2-min アメリカ野球の誕生時期を見ると、南北戦争の終結から約10年後の1876年にメジャーリーグが誕生している。つまり野球という競技は、アメリカの発展とともにあったと言えるだろう。

 アメリカでの初めてのプロ野球チームは「シンシナティ・レッドストッキングス」と言われていて、1869年に誕生した。これが世界初のプロ野球チームである。
 76年には、「ナショナルリーグ」が誕生。発足時のチームは、「ボストン・ビーンイーターズ」「ブルックリン・ドジャース」「シカゴ・オーファンズ」「シンシナティ・レッズ」「ニューヨーク・ジャイアンツ」「フィラデルフィア・フィリーズ」「ピッツバーグ・パイレーツ」「セントルイス・カージナルス」の8チーム。これが「メジャーリーグ」の始まりである。
 その後、1901年には「アメリカンリーグ」が誕生。発足時のチームは、「ボルチモア・オリオールズ」「ボストン・アメリカンズ」「シカゴ・ホワイトストッキングス」「クリーブランド・ブルース」「デトロイト・タイガース」「ミルウォーキー・ブルワーズ」「フィラデルフィア・アスレチックス」「ワシントン・セネタース」の8チームである。

 このように、アメリカの野球の歴史を見ると、アマチュア野球でなく、プロ野球の歴史しかない。当然、観客から入場料をいただき、「見せる」野球が要求される。「打席で四球を選ぶために粘る」「ファウルを打つ」「待球作戦」などは、見ているお客さんが喜ぶはずがない。当然、打者は初球からバットを力一杯振って、投手を攻撃する。投手もどんどん自信のあるボールを投げ、打者を攻撃する。そうした姿を見て、お客さんは喜んでくれるのだ。ランナーが出ても、バントよりも打つことを選択する。「見ていてどちらが面白いか?」「スリルがあるか?」「また見たいと思うか?」――など、すべてお客さん目線だ。そこに答えがある。

 では、日本の野球の生い立ちを見てみよう。

 日本の野球の始まりは1872(明治5)年、「第一大学区第一番中学」に派遣されたホーレス・ウィルソン先生がベースボールを伝えたのが最初とされている。「第一大学区第一番中学」は後の「開成学校」であり、現在の東京大学の前身である。
 1878(明治11)年、アメリカより帰国した平岡ひろし氏が「新橋アスレチック倶楽部」を結成。1894年に中馬庚氏が「Baseball(ベースボール)」を「野球」と訳した。

 こうして見ていくと、日本の野球の場合はどうも“お客”の匂いがしないように感じる。そして、1903(明治36)年、「早慶戦」が開始。ここが、日本の野球の原点のように思うのだが、まだプロはなく、アマチュア野球として発展していったようだ。早稲田がアメリカ遠征をすれば、慶応も外国チームを招待。野球の技術を磨く時期を迎えた。相手に負けないために、学校の名誉をかけての戦いが始まったのである。

 こうして東京六大学が、野球発展に大きな影響を与えてきたことが見える。そして高校野球大会が1915年に始まり、野球は一気に全国への広がりを見せるのだが、どこまでも名誉をかけた学校対抗の意識が強かったと思う。観客を意識した戦いには、発展していかなかった。当然、自己犠牲は当たり前である。四球、死球、バント、待球。塁上に走者を置いて初球からバットを振ることは少なく、相手の出方を観察しながら攻撃を探っていく。

 1936(昭和11)年、「東京巨人軍」「大阪タイガース」「名古屋軍」「東京セネタース」「阪急軍」「大東京軍」「名古屋金鯱軍」の7球団により「日本職業野球連盟」が創立。日本でもようやくプロ野球が誕生するのだが、ここまでずいぶんと長い時間がかかった。

 では、プロ野球が誕生して、すぐにアメリカのようにお客さんの喜ぶ野球の方向に行ったかというと、そうではなかった。

 明治時代に日本に入ってきた野球だが、入ってきた当時、日本には娯楽という概念があまりなく、「武士道」の概念のなかにいただけに、スポーツは神聖なものであった。そして、それを見世物にしたということで、当時のプロ野球選手の皆さんは大変な苦労をしたようだ。アマチュア野球の方が歴史が長く、いろいろな面で経験があり、駆け出しのプロ野球の先をいっていたようだ。
 当然、野球の方法論もそこから出られず、バントは当然であり、四球を選ぶことはチームのため、死球もありだった。
 今もよく言われるのだが、「プロ野球だから、バントばかりでなく他の作戦も見せろ」――当然である。それが必要だと思う。ただ、日本人の体力や技術においては、ここ1番では、バントも有効な作戦であることを忘れなければいいと思う。
 そして、チームのために四球を選ぶことも大切なことだろう。ただ、ファウル、ファウルの連続で、やたら時間を延ばしての四球をファンが望んでいるのか。ここは考えて欲しいところである。

 近年、2020年のオリンピックを控えて、日本野球機構の大きなテーマとなっているのは「試合時間の短縮」だ。ここを考えても、ファウル作戦がどの方向を向いているのか。

 たしかに野球というゲームは、いろいろな作戦を用いて、いろいろな特徴を持った打者、技術を持った打者が必要で、相手を打ち負かすことが必要なゲームだと思う。ファウルも必要なときがある。野球というゲームは多面的なゲームである。いろいろな見方があると思うが、ただ、いつもこの作戦が正しいという認識は当てはまらないというのが、私の見解である。
 「ヒットを打つ」「本塁打を打つ」「強い打球を打つ」――そのためにバットを振っている姿を、ファンの方は球場に見に来ているということを、忘れないで大切にしてほしいと思う。

2017年1月11日
衣笠 祥雄

 

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