2024年03月29日( 金 )

日本の「富」とは何か、その「富」の行方は

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 「国富」、つまり国の富とは何か。この言葉からまず思い起こされる『国富論』のなかで、アダム・スミスは「国民が労働によって産出し、受け取ることができる生産物」と定義している。スミス以前は「富」とは貴金属や宝石、貨幣など形のあるものだったことと比べ、直接目に見えない「労働による生産」を「富」と定義したことから近代の経済学は始まったといえる。

 『「国富」喪失』(詩想社、920円税別)のなかで、著者の植草一秀氏が定義する「国富」は、金融資産だけにとどまらず、医療、雇用、国土、環境、さらに伝統や文化にいたるまで、日本人が営々と積み重ねてきた有形・無形のすべての財産のことだ。そして植草氏は、このすべてが今収奪されつつあると警鐘を鳴らしている。

 2014年、関西電力大飯原発の運転差し止めを求めた住民訴訟に対し、福井地裁は運転差し止めを命じる判決を下した。この判決文のなかに、植草氏が考える「国富」を象徴する一文がある。被告の関西電力は「原発の稼働は電力供給の安定性、コストの低減につながる」と主張する。原発を動かすことで、火力発電所が必要とする燃料費が節減でき、最終的には住民が支払う電気代を引き下げることになるという主張である。この意見は、ある意味では合理的だろう。しかし福井地裁の樋口英明裁判長は、これに対して「極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されない」と厳しい反論を加えている。11年の福島原発事故を経た現在、原発の稼働は「生存そのものに関わる」ことであり、電気代と比べて論じる次元のことではない、というのである。そのうえで樋口裁判長は、「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」と断じている。国富とは、国民が幸福に生活できることそのものなのだ。

 植草氏は、この国富をアメリカの主導の元に官僚・大企業・政治家・メディアが連携して、さまざまなかたちで収奪していると主張する。しかも、そのシステムの淵源は明治維新に遡るというのだ。このシステムは戦後のGHQ支配によって強化され、これを覆す試みは石橋湛山政権、田中角栄政権、鳩山由紀夫政権など数次にわたって行われたものの、すべて潰されてきた。そして、現在の安倍晋三政権は憲法改正を強行することで「国富」の収奪を完成させようとしている、というのだ。

 本書の結びで、植草氏は「日本版五つ星運動」を立ち上げ、「政策選択選挙」を行うことでこの国富収奪体制を覆そうと行動を起こしている。現在の政治や社会の動きに不穏な影を見出されているならば、植草氏の直言に耳を傾けてみてほしい。

【深水 央】

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