2024年04月17日( 水 )

安全保障 変わらぬ原則「バランス・オブ・パワー」

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 ポツダム宣言受諾によって、日本が第二次世界大戦に敗れた1945年8月15日から73年が過ぎた。実際にはこの後も散発的に続いた戦闘行為や引揚船の触雷による被害、そしてシベリア抑留によって多くの戦争被害者が出たが、国としての戦争は8月15日に終わったのである。
 陸海軍は解体され、占領された日本は非武装国家となった。占領下で制定された日本国憲法には、戦争を放棄し非武装・平和国家になる、というみずみずしい意気込みがあふれている。日清・日露戦争以降戦いに戦いを続けてきた日本が、はじめて武器を置くことができたという喜びすら感じられる。また、20世紀初頭から勢力を拡大し続け、ついには国政すら左右して結果国を滅ぼした軍部に対する抜きがたい不信感も、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない(日本国憲法第9条第2項)」という力強い条文に反映されているように見える。

 しかし現実には、「非武装国家・日本」の寿命はわずかしかなかった。終戦のわずか5年後、50年にはGHQ(連合国軍総司令部)が警察予備隊令を発し、戦力としての武装組織が整備された。日本に駐留していた米軍が朝鮮戦争へ出兵するため、治安維持にあたることが目的とされていたが、誰もが日本が「逆コース(当時の流行語。戦後の民主化・非軍事化の流れに逆行する状況のこと)」に乗っていることを改めて突きつけられるできごとだった。

 その後も厳しさを増す冷戦構造のなかで、「軍隊ではない武装組織」である自衛隊は増強を続け、2016年の軍事費ランキングを見ると日本は世界8位の軍事大国となっている。これはソ連の崩壊で、いわゆる冷戦構造が崩壊したヨーロッパと異なり、中国の台頭によって冷戦構造がそのまま保存される形になった東アジア特有の地政学的状況によるところは大きい。日本が軍備を撤廃どころか縮小もできないのは、アジアにおいてはまだ冷戦から引き続いた対立構造が残っているからである。

 軍事や安全保障について考えるとき、一国の方針だけでは軍備の規模や方向性を決めることはできない。「その意図よりも能力に備えよ」という格言があるように、「攻撃してくる気があるかどうか」ではなく、「攻撃する能力があるかどうか」を検討する必要があるのだ。
 さらに地域の安全保障は「バランス・オブ・パワー(力の均衡)」という概念によって決定される。つまりそれぞれの国や陣営の戦力が拮抗している状態なら戦争は起きないが、このバランスが崩れればその地域は一気に不安定化する。ウクライナ・クリミア半島を巡る一連の紛争は、ロシアの戦力が減退したところにウクライナがヨーロッパ諸国との連携を強め、ロシアの「核心的利益」であるクリミア半島の帰属についてロシアと対立したことが原因のひとつとされている。

 このように、ある国が重武装した軍事国家であるか、それとも非武装の平和国家であるかは、その国の意志だけでは決められない。中立を掲げていたベルギーは二度の世界大戦の両方でドイツによる侵攻をうけたが、これはベルギーの軍備や政治方針とは関係なく、フランス侵攻を狙うドイツにとってベルギーは最短距離の「通路」であったからというだけの理由だ。

 自衛隊の発足から63年。5兆円を超える防衛費(16年概算要求)を費やす「日本の国防」を変えるには、日本を取り巻く安全保障環境、ひいては周辺国との外交上の関係性にまで大きく踏み込まなければいけない。一国のみで急激な軍縮、もしくは軍拡を行うことは、ギリギリのバランスの上に成り立っている東アジアの安全保障環境を一気に崩す可能性が高い。一方的な軍縮による力の空白も、急激な膨張による他国への圧迫も、どちらも戦争への近道になってしまうのだ。

【深水 央】

 

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