2024年04月20日( 土 )

リクルートホールディングス~江副浩正氏のDNA、起業家精神は引き継がれた(前)

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 リクルートホールディングスは、最も革新的なビジネス起業家を輩出する企業として名を馳せている。創業者の江副浩正氏のDNA(遺伝子)が引き継がれているからだ。江副氏のDNAとは何か。それは起業家精神である。

白いカモメが翔んだ

 2013年3月16日、東京都港区にあるグランドプリンスホテル新高輪の巨大催事場、国際館パミールで「江副浩正氏お別れの会」が行われた。江副氏は2月8日、76歳の波乱に満ちた人生に幕を閉じた。「お別れ会」にはリクルートOB、現役社員約1,200人が集まった。

 日本経済新聞電子版(13年4月16日付)は、ルポルタージュでこう書いた。 

〈「お別れの会」の会場で、献花台の後ろに飾られた写真のなかの江副は草色のジャケットに黄色のネクタイを締め、穏やかな笑顔を浮べていた。その頭上にはプラスチックの板でつくった無数の白いカモメが舞っていた。
カモメは江副が師と仰いだグラフィックデザイナー、亀倉雄策がリクルートのために描いたロゴマーク。(中略)遺影の周りを飛ぶ白いカモメは、江副の遺志を継ぎ、自ら機会をつくり続ける元リクの起業家たちのようだった。〉

「白いカモメ」とは、リクルートから巣立っていった起業家たちを意味した。

起業家を生んだプロフィットセンター

 白いカモメとして翔んだ起業家たちは、いかにして生まれたのか。キーワードは「プロフィットセンター」。江副氏は「マネジメント」の発明者として有名なオーストリア人経営学者、ピーター・ドラッカー氏に啓発された。ドラッカー氏のマネジメント理論の核心がプロフィットセンターである。

 江副氏はリクルートの経営にプロフィットセンター(PC)制を取り入れた。小さな会社(PC)をつくり、そこに大幅な権限を委譲し成果を求めた。PC長はほかのPC長と協調的競争をしつつ独自の経営を行う。大きくするも廃業するも、PC長の力量にかかっている。高い業績を上げれば、事業部門の長になる。これがリクルートで経営者を育てる仕組みだった。いまでいう社内ベンチャー制度である。

 「自ら機会をつくり出し、機会によって自らを変えよ」。江副氏が定めた社是はリクルート事件後、取り下げられたが、理念は若手に引き継がれた。上からの命令ではなく、社員1人ひとりが自発的に仕事をする風土が育ったことにより、革新的起業家を多数生むことになる。
退社を「卒業」と呼ぶ同社では30代で転職、起業するのが当たり前。「白いカモメ」となって翔び立っていく。リクルートは、日本最強のビジネススクールだった。

 「リクルートでの私の功罪は、罪のほうが大きかった」。06年の雑誌インタビューで江副氏はこう語っている。事件だけでなく不動産のリクルートコスモス、ノンバンクのファーストファイナンスの巨額借金で、グループ全体の借入金は1兆8,000億円にまで膨れあがった。

 不動産バブルの崩壊で、両社の不良債権は拡大。最終的に、この不良債権は、リクルートの営業利益で償却した。この10年間の不良債権の処理額は1兆1,000億円と巨額にのぼった。弁済できたのは、PCが利益を生み出したからだった。江副氏が退任時、グループ会社も加えるとPCは600を超えていた。

(つづく)
【森村 和男】

(後)

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