陸前高田市長戸羽太氏 HiMi NY Corp代表取締役ヒミ*オカジマ氏

陸前高田市・戸羽太市長は、地元特産品・新製品の積極的な情報発信を行なうことで、全国各地からの支援につなげている。一方、ニューヨークでレストランを経営するヒミ*オカジマ氏は、同市で製造されている「マスカットサイダー」の存在を知り、ニューヨークのイベントで販売。その後の継続的な販売ルートを開いた。発信することで広がっていく支援のかたちをつくった両氏に、復興への思いを、食の役割や可能性を中心に語っていただいた。

継続支援が復興の支えに

 ―親しいお付き合いをしておられるお2人のご縁は、いつから始まったのですか。

  戸羽  大勢の前でヒミさんから「友達はいますか」と聞かれたのです。唖然として曖昧な返事をすると、「僕の友達になってください」と続きました。
  実は、昨年の5月5日に東京で「ハートタウンミッション」という、自治体の長や有識者、民間企業の方たちによる震災復興プロジェクトのキックオフミーティングがありました。そこでのやり取りです。
  ヒミ  本来、僕は部外者なのですが、僕が主宰している「九州SAMURAIの会」でも親しくしている樋渡市長(佐賀県武雄市)に誘われて出席しました。戸羽市長はたった1人で会場に見えていました。就任間もない時期に多くの職員を失い、副市長も決まっていなかった。身近に相談できる人がいれば、より具体的な話ができると思ったのです。
  戸羽  ひとまず「わかりました」とお答えしましたが、実際にはニューヨークと陸前高田ですから、お会いするのもままなりません。正直どうかな、と思いました。ところが、すぐに視察に来ていただきました。
  ヒミ  被災状況を見ないことには始まらないので、味千ラーメンの重光さん(悦枝取締役広報室長)をお誘いしてうかがいました。市長が「一番困っているのは雇用だ」と話された意味を知るために―。
  実際に見てわかったのですが、被災企業にはとても雇用の余裕がありません。なんとかしないと若い人がほかに行く―。そうした悪循環を目の当たりにしたのです。

―そこでマスカットサイダーに着目されたのですね。

  ヒミ  老舗の神田葡萄園さんがつくっているご当地サイダーをニューヨークのイベントで売ってみました。風化を防ぐ、実利(金銭的な支援)になる。そして企業が忙しくなって地元の活性化・雇用につながり、継続的に支援できるようになるのを期待して。
  戸羽  ありがたいことに陸前高田には、まさに世界中からさまざまな支援をいただきました。しかし、永遠にみなさんの関心をひきつけるのは不可能です。単発的な支援はいつまでも続きません。支援企業に商売してもらってしっかり利益を出してもらう。そうすることで、企業も被災者も消費者も喜ぶ。すべての関係者にメリットがあることが、継続支援につながるのだと思います。
  ヒミ  今では、マスカットサイダーのアメリカ販売は定番になりましたが、ほかの支援もあいまって生産が追いつかないそうです。もしかしたらアメリカ向けは、いつか止まってしまうかもしれません。ただし、継続支援のモデルケースになったと思います。
  戸羽  ワタミの渡邉美樹さん(会長)からも、継続支援をお声がけいただいています。環境が整えば地元の醤油(ヤマニ醤油)や海産物を定番で使っていただけるそうです。
  ヒミ  市長がロゴを書かれた「手焼きせんべい」も話題になりました。
  戸羽  津波で店舗を流された木村屋さんという和菓子屋さんです。相談を受けた草加せんべい振興協議会と草加市が太っ腹で、こちらに乗り込んでノウハウを教えていただきました。現在は、㈱陸前高田手焼きせんべい、という新しい会社をつくって、再出発されています。
  ほかの会社もロゴだけでなく、私の似顔絵でも何でも利用できるものはしていただきたい。頼まれれば何でもします。
  ヒミ  食に関してだけでも、陸前高田にはすばらしい企業や商品がたくさんありますね。
  戸羽  もともと醸造業がさかんな土地柄で、お酒や味噌・しょうゆなど有名な会社があります。ほとんどが被害を受けていますが、個人商店でも、おそばなどは通販で販売できる体制を敷きつつあります。

求められるのは発想の転換

  戸羽  東北地方は、昔から食料供給基地という役割を担っていました。そういう面では一次産業も重要です。
  ヒミ  深刻な問題として日本の人口は減っているけど、世界では急速に増えています。
  戸羽  20年経てば食料危機がやってくる。そこをどう耐えられるか―。国にもお願いして、そこは行政がしっかりバックアップしていきたいと思います。震災前から日本全体の課題でしょうが、本来農業にとっては大チャンスのはずです。ですが、従事者は急速に減っています。過酷な仕事なのに儲からないからです。そこを変えていくことです。
  たとえば、市内の米崎という地区にドームを建設しました。そこで水耕栽培をやる予定です。年に4回収穫できるそうです。ほかにも若者が進んで働きたくなるような、時代に即した環境をつくっていくことが必要だと思います。
  ヒミ  一方で、付加価値というか、ブランド力をあげることも必要ですね。
  戸羽  「きのこのSATO」という会社でつくるしいたけは、肉厚で非常に品質を評価されています。従来からワタミに応援していただいていましたが、今後は役員まで送り込んで支援していただく予定です。ブランド力をあげて、きくらげなども特産化できればいいなと思っています。
  また、外部の民間企業に頼りきりということでなく、行政としても思い切ったことをやらなければなりません。たとえば「200万円出すから新しいものに挑戦してください」、極端な話「失敗しても返さなくてもいいです」といったものですね。実際には法律の問題などもあり、難しいのですが―。
  ヒミ  アメリカなら、挑戦を讃える風土があります。思いを伝えれば出資してくれる人が現れる。債務保証なんてつまらないことは言いません。むしろ、一度の失敗は勲章になるぐらいです。
  戸羽  いずれにしても、生産者にメリットがある仕組みをつくらなければダメです。漁協の在り方も変えなければなりません。漁協には一定の手数料が入るが、漁民にとってはメリットがない。
  ヒミ  命がけで魚を捕っても、収入が低い。
  戸羽  現場の人たちが一番良い思いができるようにしなくては。間の人たち―組合などの手数料組織は、年間通じたところで黒字になればいいと思います。生産者に最大のメリットがないと、産業事態が成り立ちません。
  ヒミ  景気の良いときのモデル、風習が続いてしまっていますね。しかし、そこは行政が踏み込む問題ではない。難しいですね。
  戸羽  行政としては、若い人たちに「自分たちのことなので、勇気を持ってください」とお願いしています。「行政は主体になれないけど、応援します」と。
  最近、民間企業に直接わかめなどを販売する人が現れ始めました。漁協向けは、熱湯に漬け込んで裁断し、塩をまぶしてすぐ売れる状態まで加工します。ですが企業向けには収穫して売るだけ。売値は漁協の方が高いかもしれませんが、コストを考えればどちらが利益を取れるか歴然としています。流通過程を見直すことも、言ってみれば付加価値です。そういった発想の転換を伝えることも、行政の仕事だと思っています。
  先ほども言いましたが、農業や漁業だけ休まず働けというのは、過酷すぎます。これでは若い人たちは働けないでしょう。これだけ時代が進んだのですから、土曜日を半日休みにすることなどが、できないはずはありません。そうしたかたちで若い労働力を呼び込んでいきたいですね。
  ヒミ  外国人の力を借りるというのも1つの方法だと思います。海外と日本では人口推移にギャップがあります。もはや「単一民族」でという時代ではありません。日本に来たい人を積極的に受け入れるのも方法です。
  戸羽  日本人は、手続き論や慣例にとらわれすぎだと思います。とくに行政はそういう傾向が強いと、私自身が感じます。たとえば単なる案内状にいくつもの判子が押してある。こういうことは秘書がスケジュールを見て決めればいい。無駄を省けば、みんなが楽になるはずです。前例主義では通用しない時代になっています。たしかに、通常のやり方を踏襲すれば安心できるけど、何も生まれてきません。

権限移譲が成長を促す

  ヒミ  海外から見ると力があるのに、現実には想像以上に中小企業の元気がないように見えます。市長の経験から、そうした人たちにアドバイスはありませんか。
  戸羽  私はとてもそういう立場にありません。ただ、「未曾有の災害だからしょうがない」といっても、現実はどんどん進んでいきます。黙っていても誰も助けてくれません。陸前高田はとくに被害が甚大だったので、自力での復興はとても無理でした。ですから、情報発信を絶え間なく行なっています。久保田副市長はブログで発信していますし、来月には市のフェイスブックも立ち上がる。そこで特産物をどんどん発信していく予定です。民間だけでなく、各自治体からも応援が入っています。ちょっと信じられませんが、樋渡(武雄市長)さんは右腕(古賀龍一郎報道担当主査)を送ってくれたのです。声を上げることは重要だと思います。
  ヒミ  情報発信という点では、ガレキ処理問題も政府が正しく報じていれば、これだけこじれることはなかったような気がします。震災前から自然界に放射性物質は存在していた。でも、一体どれだけ浴びれば危険なのか、今でもわかりません。地方でのガレキ処理反対を否定するつもりはありません。ただし、それなら被災地での処理も反対すべきです。そこから何ができるか考えてみることが必要だと思います。
  戸羽  陸前高田でも、農産物が風評被害を受けています。ただし、実際の数値が安全とわかっても、路地栽培は食べたくない人がいるかもしれない。そうした声に対応する生産物をつくる環境を整えることも行政の仕事だと思います。
  ヒミ  あとは権限移譲でしょうね。
  戸羽  お役人がダメになった1つの要因は、上に意見が通らないことです。下からの情報提供ができない状態です。
  ヒミ  海外から見ると、自由に話し合える環境がない。まず、何を言ってもいいという風土をつくってあげることでしょうね。僕はスタッフとのミーティングで、そこに最も注意を払います。日本の中小企業の場合、社長・トップが倒れるとすべて止まってしまうというところが多いように感じます。
  戸羽  市役所の場合、係長は30代後半から40代前半です。彼らに、自分で考えて決めていいよ、と伝えています。自分で考えて決めるには、決断する勇気も必要でしょう。ヒミさんの成功例は稀かもしれない。でも、失敗してもやってみないと、次のステップにはいけません。
  役所でも、私より若い人の方が柔軟な発想を持っているはずです。それを使わない手はない。そうした人に、どんどん得意なことに挑戦してもらおうと思います。
  ヒミ  挑戦してみると、日本の常識が世界の常識でないことが良くあります。たとえばアメリカ人には、日本人にとって言いにくいことでも、はっきり伝えないといけません。価格などは、ものの価値を判断するのに重要な要素です。高いか安いか。支援でも一緒です。「いくらほしい」と、はっきり伝えることです。

当たり前に暮らせるまちに

  ヒミ  九州をブロックとして見ると、非常に高い潜在力を持っています。鹿児島・熊本・宮崎だけで、日本の畜産を賄う力がある。GDPを見てもオランダに次ぐレベルで、ベルギーやスイスを超えています。そういうかたちで考えると、陸前高田単体では限界があっても、東北全体として考えれば力が出るかもしれません。これも1つの方法かもしれませんよ。実際に自治体レベルでは、横の連携が取れるようになってきましたね。
  戸羽  被災地間で一緒になってやっていこうという機運が高まって来ました。また、樋渡さんのように、全国の自治体からもいろいろなサポートをもらっています。行政の改革という視点で見ても、各地で切磋琢磨することで全体が活性化していくと思います。
  ヒミ  市長は奥さんを亡くされたなかでも走り続けておられます。九州SAMURAIの会にもたびたび来ていただいて、情報を発信されています。エネルギーの源泉は何ですか。
  戸羽  もっと悲惨な目にあった人が大勢います。そうした人たちを前にして、こちらが落ち込む気になれません。むしろ、走り続けていないと不安になるのです。
  実際にたくさんのものを失いました。しかし、そのことでヒミさん始め九州の多くの人とも出会うことができました。得たものもたくさんあるのです。私はまだ恵まれていると思います。
  ヒミ  心のバランスという意味で、私や九州の仲間がお役に立てているとすれば幸いです。これからも復興に向けてがんばってください。
  戸羽  完全な復興までは時間がかかるかもしれませんが、お約束している8年でみんなが当たり前に暮らせるまちまでは戻したいと思います。
  ヒミ  その先は、むしろ時間をかけてもいい。サグラダファミリアは130年かけても建築中ですが、それがバルセロナ市民の誇りになっていますから。
  戸羽  復興のアイデアを子どもたちにお願いしていますが、すばらしいものがたくさんあります。長い世代に渡って参画意識を持ち続けてもらえれば、より良いまちになっていくと思います。

 

―ありがとうございました。

(文・構成:鹿島 譲二)

戸羽太氏とヒミ*オカジマ氏

戸羽 太(とば・ふとし)

陸前高田市長。1965年神奈川県生まれ、東京都町田市育ち。父・一男氏は元岩手県議会議員。民間企業勤務後、95年4月陸前高田市議選初当選。07年4月副市長就任。11年2月市長就任。同3月以降、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた同市の復興に当たる。自らの夫人を亡くしながらも冷静な判断力と突出した行動力で、国際的にも注目されるリーダーの1人。

ヒミ*オカジマ

HiMi NY Corp 代表取締役、九州SAMURAIの会主宰。1970年福岡市生まれ。福岡内で複数の飲食店を経営したのち、ニューヨークに渡り07年10月美肌レストラン「HAKATA TONTON」をオープン。同店をアメリカフード界のアカデミー賞ともいわれる「Time Out NY Food アワード08,NYミッシュラン」を4年連続受賞する名店に仕上げた。ソフトな語り口の裏側に周囲を巻き込みながら影響力を発揮するリーダーシップを持つ。