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政商の研究 [2]
 
~大「三菱」を創始した明治の政商と「犯罪者」となった昭和の政商の明暗~


◆ 昭和の政商・小佐野賢治

 「昭和の政商」は、国際興業社主・小佐野賢治(故人)の代名詞になった。“刎頚の友”である元首相・田中角栄との二人三脚の関係は、あまりにも有名だ。

 小佐野は山梨県の貧農の家に生まれた。自動車部品商の住み込み店員、陸軍への応召を経て、太平洋戦争開戦前夜の昭和15年(1940年)、東京・芝で自動車部品販売業・第一商会を創業。以来、時の権力と結びついて巨万の富を築いた。

 第一商会を設立するや、郷土出身の代議士に後見人になってもらい、軍需省に食い込み、民間嘱託になった。戦争が勃発。軍需景気で、大いに儲かった。軍人とコネを築いた小佐野は、敗戦直後に、軍事物資の放出を千載一遇のチャンスとして、軍から自動車部品やガソリンをただ同然の値段で払い下げてもらって転売し、しこたま儲けた。

 敗戦と同時に進駐軍が入ってくると、進駐軍に食い込み、米軍の指定商となり稼ぎまくった。朝鮮戦争では、朝鮮半島に進出、米軍基地内でバスを運行。ベトナム戦争では、南ベトナム最大の米軍基地・ロンビン基地内で、米軍将兵輸送用バスの貸し付け、バスの修理事業をはじめた。「死の商人」と非難を受けようと、平気の平左であった。

 小佐野が田中角栄と出会ったのは昭和23年。田中が経営する進駐軍御用の田中土建工業の顧問弁護士・正木亮の紹介である。小佐野31歳、田中30歳のとき。

 正木が2人に
「小佐野さんは事業家として一筋の道を、田中さんは政治家として進みなさい。お互い同じような境遇だから、ちょうどいい。手をつないで仲良くやりなさい」
 と激励したのは有名な話だ。

 小佐野は昭和38年、池田勇人内閣の蔵相であった田中角栄の力により、大蔵省(現・財務省)所管の国有地「虎ノ門公園跡地」の払い下げを受けた。この土地は、5年間の転売禁止条項がついていたが、小佐野は1年後に土地を所有する会社を売却する形で転売し、当時の金で約18億円の転売益を得た。「虎ノ門国有地払い下げ事件」である。

 「政商」小佐野にとって、一世一代の大勝負が昭和47年7月の自民党総裁選。田中角栄と福田赳夫の一騎打ちであった。このときの選挙には、大量のカネが投じられた。田中が使ったカネは50億円とも60億円ともいわれた。

 田中は新星企業というファミリー企業を、小佐野の国際興業に売り渡してカネを作った。少なくとも1票が2,000万円以上についた計算だ。このカネで、田中は総理総裁の座を買った。
「田中総理大臣は、おれがつくったんだ」
 小佐野は、そう豪語したという。

 小佐野には、カネを50億円、60億円使おうとも、田中角栄が総理総裁になれば、安い買い物である。東北、上越新幹線の大きな利権が転がり込んでくるからだ。田中角栄と綿密な情報交換をして、前もって新幹線ルートを知った小佐野は、その周辺の土地を国際興業のダミー会社を使って買い占めた。ルートが発表された後、高値で売却。ボロ儲けした。

 だが、政商の命運が絶たれたのが昭和51年に発覚したロッキード事件である。米ロッキード社は当時の新型旅客機トライスターを全日空に売り込むため、秘密代理人の児玉誉士夫から小佐野賢治を紹介してもらい、小佐野を介して首相の田中角栄に食い込み、丸紅経由で田中に5億円が渡ったのが、「総理の犯罪」として知られるロッキード事件。

 小佐野の政商人生に終止符が打たれた。


(つづく)




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