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決着した「クロネコヤマト」の後継者問題 (1)
 

追放された小倉ジュニア


 創業家の御曹司の処遇は悩ましい問題である。

 「クロネコヤマトの宅急便」でおなじみのヤマト運輸グループのトッブ人事が波紋を呼んでいる。創業家のジュニアで、持ち株会社ヤマトホールディングス(HD)の小倉康嗣・専務執行役員(47)が9月1日、社長付に異動したためだ。名目は海外留学。米国の大学院で、1年以上かけてMBA(経営学修士)を取得するのが目的という。

 MBAは20代の若者がキャリアを作るために取得するもので、次期社長と目された47歳の経営幹部が長期間、社業を犠牲にして取得するほどの価値はない。このため、業界では「留学に名を借りた御曹司の追放」という観測が飛び交っている。


■ 宅急便の生みの親

 小倉康嗣氏は「宅急便の生みの親」ヤマト運輸会長、故・小倉昌男氏の長男。創業者の直系の孫にあたる。

 全国のトラック台数が204台だった1919(大正8)年、小倉康臣氏が東京・銀座でトラック4台を保有する自動車輸送会社を設立したのが、ヤマト運輸のはじまり。三越百貨店の配送を手がけ、数年後には関東一円に輸送ネットワークを作り上げるまでになった。

 だが、1960年代の長距離輸送時代に出遅れた。長距離輸送業務を先発業者に次々奪われ、顧客を失った。さらに73年のオイルショックが追い討ちをかけ経営危機に陥った。

 家業の再建に取り組んだのが、71年に父・康臣氏の後を継いで社長に就任した小倉昌男氏である。昌男氏は東京大学経済学部を卒業、48年に父が経営する大和運輸(現・ヤマトHD)に入社した。

 昌男氏が再建の柱として目をつけたのが小口貨物である。それまで小口貨物は儲からないというのが業界の常識であった。小口貨物は、

(1) 郵便局の郵便小包が独占
(2) 全国的な集配網の設置には郵政省の認可が必要
(3) 料金は運輸省の許可制
(4) 個人相手で需要が不安定

 などが理由だ。

 「宅急便」ビジネス創出の最大の難関は、許認可権を握る役所の壁であった。宅配便の規制緩和を巡り、旧運輸省、旧郵政省と真っ向から対立した。同業者の反発を恐れた運輸省は認可しようとしなかった。

 小倉氏は、未認可地域の免許を得るため運輸省を相手に訴訟を提起する一方、新聞に「運輸省が認めないため新運賃(低料金)サービス延期」の旨の広告を大々的に打って、戦いに挑んだ。その結果、運輸省の対応の遅さを批判するする世論が盛り上がった。無視し切れなくなった運輸省は渋々認可した。

 76年1月20日「電話1本で集荷、1個でも家庭へ集荷、翌日配達」というコンセプトの「宅急便」が誕生した。ヤマト運輸は大口貨物輸送に決別し、宅配便市場という新たなビジネスモデルを作り上げた。その成功によって、売上高1兆1615億円(07年3月期)の巨大企業に発展した。
 お上に逆らうと、どんなしっぺ返しを喰うかわからない時代に、小倉氏は孤立無援で戦い抜き、お上を屈服させた。小倉氏は規制改革のシンボルになった。

 2005年6月30日、昌男氏はアメリカ・ロサンゼルスの長女宅で逝去。享年80歳。昌男氏という絶対的な求心力を失ったヤマトでは、御曹司の処遇をめぐる派閥抗争が勃発した。




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