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検証 吉田市政の1年(2)
福岡市政ニュース
2007年11月29日 10:04

~吉田市政誕生~


 吉田宏市長の経歴を振り返ってみよう。直方で生まれた吉田市長は、福岡市そして北九州市の2つの政令市で幼少期を過ごしたとされる。
 鹿児島ラ・サール学園高校、慶應義塾大学(経済)を卒業し、西日本新聞社に入社、経済部長、論説委員等を歴任した。

 福岡市民にとって意外なのは、当初、吉田市長が目指していたものが、福岡市長ではなく、北九州市長もしくは国会議員であったが、いずれも北九州市での出馬を希望していたとされることである。
吉田市長が、以前から「北九州市長選に出る」とか「自民党から国政に」と語っていたことについては、多くの証言者が存在する。

 それがなぜ「福岡市長」だったのかについては、北橋健治現北九州市長の市長転出の阻害要因を消し、負けても福岡2区の候補者に、という戦略が描かれたとの説もある。(稲富修二氏が知事選に敗れた後、その知名度を生かし、福岡2区の候補者に納まったことは、その推論に信憑性を持たせる。)
推薦候補決定まで、民主党の中では、福岡市議団が別の候補者を推し、吉田氏を推す県議を中心とするグループとの対立が表面化した。

 この頃から「北九州で市長になろうとした人が、なぜ福岡市で市長選なんだ!」との声は聞こえていた。それほど吉田市長は「唐突に現れた候補者」だったのである。
 しかし、福岡市政史上初の民主党単独推薦候補・吉田宏氏は、「反山崎」の流れを確実に掴んだ。
現職市議の立候補で反山崎票が割れるとの見方もあったが、開票結果は2万票の差をつけての圧勝である。オリンピック招致問題が無ければ、これほどの勝利はなかっただろう。

 ここで吉田市長の選挙戦での訴えを振り返ってみたい。
キャッチコピーは訴えの全てを象徴するものであろうが、吉田市長のそれは「聞きたかけん。」である。「心耳を澄ます」というフレーズも多用された。

 「市民の声を聞く」ことを市政運営の基本に据えるということであろうが、山崎前市長が唐突にオリンピック招致を打ち上げ、反対の声が上がる中、計画を進めたことを意識したものだろう。(ただしこれはあくまで選挙用のキャッチコピーに過ぎず、市長就任後の吉田市長にはそうした姿勢は感じられない。何が駄目なのかは、今後の検証の中で詳述する)

 さらに、吉田市長の当時の印刷物には「市民から遠く離れたところで決まってしまう」であるとか、「市民の暮らしの満足度を高める政策」「密室で膨張する財務体質」といった文句が並ぶ。全てオリンピック招致にリンクするのではないだろうか。
 吉田陣営が、オリピック招致という山崎前市長の失敗をいかに意識して戦ったか、お分かりいただけるだろう。

 もっとも、多くの市民がオリンピック招致に懐疑的な目を向ける中、民主の看板を背負った候補者であれば、誰でも勝てたという声もある。
 事実、吉田市長の選挙戦を通じての政策には、目玉となるものは少なかった。「人工島の土地利用計画を白紙に戻す」とか「留守家庭こども会の無料化」程度のものが注目されたが、これだけで市長選挙が勝てるはずもない。

 市民が吉田市長を選んだのは、「広太郎さん」に代わる新たな市民派であり、新聞記者という清潔さであり、市民の声を聞くという謙虚さに期待したからに他ならない。もちろん、民主党の看板という大前提があった上での話である。

 唐突に飛び出た「オリンピック招致」が、唐突に出てきた吉田宏氏を市長にした、簡単に言えばそれが福岡市長選の実相であろう。そのことが福岡市民にとって良かったのかどうか、検証を進めてみよう。
 
つづく

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