原発で深刻な事故が発生したら、これまで指摘してきたように被害は甚大である。健康被害や場合によっては被曝者の死亡、健康被害が発生する可能性のある地域の住民避難、土地の無価値化、生産設備の停止、事故原発近辺の農業・漁業の停止、広範囲におよぶ風評被害、避難者の生活補償、さまざまな損害賠償などなど、ひとつの地域に壊滅的なダメージを与えるのである。住みなれた町を追われて、避難生活を送ることでのストレスはいかばかりか、察するにあまりある。
原発は、その歴史において政治主導で広がった背景はたしかにある。そして、安全指導について行政が取り仕切っている事実もたしかにある。けれども、これはあくまでも「一営利企業の一生産設備」であることを忘れてはならない。原発を動かすことで得られる利益は、結局は「一営利企業」のもの。であれば、被害の賠償も「一営利企業」が事業リスクとして背負わなくてはならないのではないか。
原子力事故の原因が異常に巨大な天変地異や社会動乱の場合、原賠法(原子力損害の賠償に関する法律)によって国が損害賠償を肩代わりしてやる、という制度がある。しかし、これもおかしな話である。なぜ、一企業の金もうけの尻拭いを国民全体で引き受けなくてはならないのか。利益はほしいがリスクはとらない、では世間様は納得しない。原賠法が存在しなかった場合、それでも電力会社は原発を稼働させたいと思っただろうか。また、原賠法が廃止された場合、それでも原発を再稼働させようと思うだろうか。もし、思わないのであれば、そもそも原発は破綻している証拠である。
危険性は地域一帯におよぶ、しかし持主はリスクを負わず、利益はすべて持主のモノ。これでは、誰も納得しまい。政府、電力関係者は世界史において、2番目の深刻な事故を起こしてしまってなお、制度自体を見直さずに、再稼働ありきの動きを見せている。まったく愚かしいことである。もし、次の事故が明日にでも起きてしまえば、本当に日本は破綻の危機に直面することだろう。
反省し、それを反映させ、そのうえで原発の存在意義から考え直し、方向性を確定させねばなるまい。その第一歩として原賠法を廃止する可能性を論議してみるのは、大変有意義だと思われるのである。
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