2024年04月25日( 木 )

誰が日本の高齢者を殺そうとしているのか(1)

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第1回 身勝手な医者、治療を鵜呑みにする患者、家族、そして…

医者に殺される!

naika 地域コミュニティ施設「サロン幸福亭ぐるり」(以下「ぐるり」)に来亭される常連(主に高齢者)の会話に、最近、異変が見られる。それもキーワードが「殺される」だからただごとではない。
 NetIB-Newsで連載している「大さんのシニアリポート第44回」に登場した是枝冴子(仮名・78歳)さんの場合を略述してみる。腰痛の手術を受けた是枝さんは、病院の勧めで認知症の検査を受け「問題なし」との診断を受ける。帰宅後、近所のかかりつけAクリニック主治医に手術の報告をした。すると、主治医からいきなり「認知症です」という診断を受ける。手術をした病院で「検査を受け、認知症ではないという診断を受けた」と話すと、Aクリニックの主治医が豹変。「信用できないなら、Bクリニックで再診を」と強要。仕方なくBクリニックで受診すると、口裏を合わせたように「認知症」の診断。Aクリニックに報告すると、「娘同伴で来院」を告げられ、娘に「認知症治療薬(アリセプト)の服用」を強請された。懇願する娘のために仕方なく服用。たちまち体調を崩して床につく日々に。見舞いに来た友人の助言で服用を中止した。すると徐々に体調が恢復した。Aクリニックに告げると、激怒した主治医から、「来院拒否」を通告される。かかりつけ医を替え、その後、元気な姿を「ぐるり」に見せてくれる。「医者に殺されるところだった。医者なんて信用できない」とあきれ顔で話してくれた。

 興味深い新書がある。『認知症をつくっているのは誰なのか』(村瀬孝生・東田勉 SB新書)に、「認知症のことを知らない(中略)医者が『治療薬がある』という理由で積極的に認知症という診断を下し、薬を出すようになったのです。その結果、うつ病の薬ができたためにうつ病の患者数が飛躍的に増えたのと同じような現象が起こりました」といい、「認知症は、国や製薬会社や医学界が手を組んでつくりあげた幻想の病です」と断言する。さらに、「抗認知症薬には副作用があり、興奮や徘徊といった副作用が出たら、それを押さえるために向精神薬が投与されます。そのことによって、お年寄りは本物の認知症にされてしまうのです」と結論づけた。

 本間昭医師(「お多福もの忘れクリニック・神経精神科」)も、「高齢者には副作用が出やすく、できるだけ向精神薬を使わないようにすべきです」(「朝日新聞」2015年5月5日)と警鐘を鳴らす。「ぐるり」の常連で、認知症を自認する香川涼子(仮名)さんへ、わたしが「専門医の受診」を強く勧めたところ、次女(介護士)から「完全拒否」を宣告されたことがある。次女は勤務する介護施設で、認知症の入所者が次々と系列の病院に送り込まれ、二度と介護施設に戻ることがなかった事実を目の当たりにしていたのだ。「抗認知症薬には強い副作用があり、悪化させるだけ」という強い思いこみがあった。次女はほどなく介護施設を辞めている。

 最近、「ぐるり」では、受診した医者の力量、技術、そして資質を伴った人間性を問題にする会話が絶えない。「医者って、そんなに偉いの?」。自己保身とプライドばかりが垣間見られ、肝腎の患者のことを考えてくれないと嘆くのだ。

”残念な医者”に”残念な患者”が殺される!

 知り合いにリウマチの専門医がいる。YK氏(60歳)。この道34年のオーソリティだ。話を聞いた。「17年前に、メトトレキサートという従来薬よりワンランク上のリウマチ薬が登場し、今では、事実上標準薬の座を占めています。さらに13年ほど前に、生物学的製剤という特効薬が登場します。これはバイオテクノロジーの技術によって生み出された医薬品です。生物学的製剤ができたことで、リウマチの治療が劇的に改善されました。初期の段階でリウマチと判断されれば、ほぼ以前通りの生活が送れます。これまで必要とされてきた手術が激減しました」。画期的な薬の開発が、その後の医療のあり方を激変させることはよくある。

kaijo 「でも、これはこの薬の存在を知っている医者の話です。知っていても使おうとしない医者もいます」。最先端の治療薬を、使わない?「敢えて使わない。使おうとしないのです。あんな副作用のある薬は使えるかと拒否する医者がいるのです」。不勉強な医者がいることは承知している。学会にも出かけない。医学雑誌に目を通さない。専門医仲間と情報の交換もしない。

 「不勉強でもいいんですよ。自分の力量を把握し、手に負えない患者を僕の所に送り届けてくれれば問題ない。しかし、彼らはそういうことしません。患者を抱え込んでしまう」。技術も新薬に対する知識(使い方含む)も未熟なのに、旧来の治療法にかたくなに固執し続ける。主に高齢の医者に多いが、若年の医者の中にもいるという。
 「病状の変化(悪化)に気づいて、僕のところに逃げ込んでくる患者ならまだ救いようがあります。問題は悪化しても逃げ込む勇気を持てない患者が多いということです。残念な医者に通い続ける残念な患者もいるということです」。長年、信用してきた主治医の治療法について、疑義を差し挟む勇気を持てる?「難しいかも知れませんが、自分の身体ですよ。最終的に主治医が責任を取ることは、まずありません。手の施しようのない状態の患者が助けを求めてきたとしても、元の身体に戻すことは不可能です」。なぜドクターを替えなかったのか、患者に聞くこともあるという。「リウマチに特効薬ができたといっても、薬には副作用が伴います。だからこそ、患者と医者との信頼関係という、二人三脚の姿勢で取り組むのです」。ここでも、「残念な医者」に「残念な患者」が殺されるという事実を垣間見た。患者にも問題がある。

 YK氏は「残念な医者」について、「地域医療を担う医者という自負はあるものの、地域医療に最先端の医療は必要ないと考えている。自分の存在価値を、決められた狭いエリアで維持するために、実に身勝手な発想を敢えて持つ医者がいるんです。勉強しなくとも、ある程度の肩書きは付いてくる。それにしがみつくために、身なりや立ち居振る舞いだけには気を注ぐ。結局、患者を商品としかみていないことに気づかない」とバッサリ切り捨てた。心ある専門家が使用に疑問が残ると警鐘を鳴らす抗認知症薬「アリセプト」、リウマチの権威が推奨するリウマチの特効薬「メトトレキサート」と「生物学的製剤」。新薬製剤のこの違いは、単に副作用の強弱の差ばかりではなく、これを使用する医者自身の資質こそが問題なのである。

 折しも「群馬大学病院腹腔鏡手術事件」と「東京女子医大多量投薬副作用事件」が報じられた。前者は、同じ医師による手術で09年~14年までの6年間で、実に18人が死亡した。医療事故調査委員会は、「高難度手術を行う体制として、極めて脆弱かつ異例」(「朝日新聞」16年7月31日)と指摘した。
 「執刀医は、自分に内視鏡手術の技術が伴っていないことに気づいていても、今更後戻りはできない。群馬大病院にも、『腹腔鏡手術の最先端を行く病院』という自負心を取り消すわけにはいかない。それ以上に、この執刀医に、誰も『止めるべき』と進言できなかった。田舎の大学病院では起きやすいことです。田舎の有名人ですから。組織の硬直化という単純な問題ではないのです。一般の企業なら能力のない上司は現場からはずされることが多い。企業の収益や社員のやる気に影響しますから。でも、病院だけは治外法権的な暗黙の了解に守られているという錯覚が存在しています」

 医療過誤を犯しても、それを「経験値」と「回数」に置き換えて居直り続ける医者と、それを暗黙のうちに擁護する大学病院(医療機関)が存在する。医療過誤的な事実は「対岸の火事」と捉え、自分の狭いテリトリー(専門分野も含め)のみを守り続ける医者も少なくない。一方で、地域医療を真剣に考え取り組んできた映画『赤ひげ』を地でいくような医者もいる。「ぐるり」の常連が、「いい医者に当たるかどうかは、その人が持つ『運』だね」というのが会話の落としどこになっている。何とも哀しい現実である。

(つづく)

<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。

 

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