2024年04月20日( 土 )

泥沼化する縁者同士の企業間トラブル(後)

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 一方で、C社代表に話を聞いたところ、B社代表への苦言を次のように述べてくれた。
 「結論から述べると、B社には支援はしません。また、A社から商品を仕入れていましたが、終了させました。実の妹であるB社代表には、経営者としての能力はありません。資金面において公私の分別がつかない。また、過剰な人員を抱えていたことについても以前から忠告しているが改めない等々…、言いたくはありませんが、B社をつくったのは私ですよ。B社はもともと、私たちの実父のために設立した会社です。それをB社代表は、世間にはさも自分がつくり上げたかのように言っていますが、事実は違います。B社代表は、あの会社を言わば乗っ取ったのです。事業のノウハウも、私がつくり上げたものです。さらには販路の構築も、私の顧客が中心となって形成されているのです。B社代表は、自社の売上高が好調なときには、贅沢三昧。会社経営には無関係なところにも、莫大なお金をつぎ込んでいました。しかしその一方で、支払い関係も杜撰で、各所に未払金が多発していました。そのたびに私は、関係各所に出向いて処理してきました。たとえば、B社の大口仕入先の1つには、約5,000万円の債務(手形、未払金)がありました。その手形を放棄してもらい、B社が支払可能な金額で定期的に返済することを交渉し、可能にしたのも私ですよ。いろいろと述べるとキリがありませんが、B社代表には経営者としての才覚はないと断定できます」。

office2 地場の大手地銀の件についてたずねると、「たしかにその通りです。同行からは『B社と取引を行ったら、A社との取引を止めます』と宣告されました。たしかにA社はB社に対して約1,200万円の債権があります。売掛を回収できない企業との取引が存在すると、当然のことながら銀行は疑念を抱きます。だからA社はB社への商品の卸を止めたのですよ。B社代表は、『A社代表には、A社の設立時から投資してきた。1,200万円はその投資分で相殺して』と反論してきました。ですが、それは第三者には通じません。そのような話は、親子間での話としてではなく、事業者としてお互いの取引前に協議し、きちんと整理して明確にしておくべきだったのです」とコメント。
 また、B社代表の子息であり、自身にとっては甥にあたるA社代表に対しては、「彼には『お母さんを助けていけ』と指示していました。会社経営の相談にも来るので、そのノウハウを授けました。ですがA社代表も、自社の経営が少しばかり軌道に乗り始めると、自身は常軌を逸する報酬を取ったり、人員を増やしたりするなど、体裁ばかりです。私が、A社代表に対して手堅く経営するようにアドバイスしても、まったく言うことを聞きません。そのあたりは母親と同じですね。ですから、今後はA社代表に対しても、アドバイスをするつもりはありません」と、こちらに対しても苦言を述べる。

 そして最後に、「B社代表に関しては、実の妹ですから、当然助けたいという思いはありますよ。ですが、再三にわたる忠告を聞かないため、どうすることもできません」と話を締めくくった。

 なおこの件については、大手地銀とA社とB社の大口仕入先にも取材を申し込んだ。大手地銀は、「当時の関係者が異動して、この件をわかる人物がいません。そのため、明確な答えはできかねます」とコメント。一方の大口仕入先からは、「個々の顧客情報に関しての取材は、受けられません」との回答だった。

 ――以上が、当事者の話である。

 客観的に見て、A社が今後もB社へ商品を卸すことがないことは明白。C社がB社に対して手を差し伸べることも、現時点ではないだろう。B社は現在、独自ルートでの販路開拓を試みてはいるが、前途多難である。また、A社代表とB社代表との親子間の関係修復は、現時点では難しそうだ。現実的に考えると、B社代表は経営の一線から退き、A社かC社に経営権を譲渡するか、あるいは法的に整理することも視野に入れなければならない状況だ。

 親子や兄妹という縁者間の話は、当事者にしかわからないこともあるだろう。だが、第三者から見ると、今回の件はA社代表とB社代表のコミュニケーション不足に起因している問題であり、B社代表がこれまでのC社代表からの再三にわたる忠告を受け入れていたとしたら、事態が好転していた可能性が高いように思われる。

 B社代表は、明朗で面倒見が良い人柄の持ち主だ。しかし今回の件では、その点がマイナスとなった。それぞれの立場での言い分はあるだろう。それでも感情論を抜きにすれば、B社代表が一歩譲ってC社代表の進言に従い、B社の経営を適正に処理したうえでA社に属して子息のサポート役に徹することが、今後としては現実的なのではないだろうか。

(了)
【河原 清明】

 
(中)

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