2024年04月20日( 土 )

名門はなぜ破綻に至ったのか(4)~鹿児島の通信工事、三州電通工業

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 栄枯盛衰は世の常。経営者の資質が問われる破産事件が起きた。2016年7月、三州電通工業(株)(本社:鹿児島市谷山港、前田直人代表)が40年の歴史に幕を下ろした。こう表現すれば、聞こえはいいが、取引先を中心に関係者は一様に首をかしげている。「なぜ倒産しなければならなかったのか」「耐えられたはず」「裏切られた」。取引業者からは疑問や不満が漏れ聞こえてきた。同年8月に破産開始決定が降りたのだが、一連の破産事件はまだまだ終わりそうにない。

荒れる債権者集会

 債権者集会では、直人氏は何度も「破産直前まで立て直しを目指していた」と答えているそうだが、果たしてそれは真実だったのだろうか。関係者からは「16年3月に福岡支店閉鎖を決めたときに、破産を前提に進めていたのでは」という意見もあった。なぜなら、福岡支店が三州の心臓部であったからだ。

 営業部隊はそのほとんどを福岡支店に配置されており、三州にとっての心臓部だった。直人氏は福岡支店に対し、「固定費の高い福岡支店閉鎖を条件に、金融機関から融資を取り付けられる」と告げたという。企業として、生き残るために苦渋の決断をした。「規模縮小しても、本社までは潰さない。」社員のだれもがそう思っていた。福岡支店全員解雇。5月末で福岡支店は廃止された。直人氏の飲食業の失敗で、路頭に迷うことになった従業員。無念だったに違いない。それでも、会社が生き残るなら、と唇を噛んだ社員も多かったはずだ。

流れは変わらず破産へ

 福岡支店閉鎖に伴い、融資は受けられたはずだと主張するのは、元従業員だ。しかし、破産への流れは変わらなかった。それ以上に、直人氏の裏切り行為に怒りが収まらない者もいた。5月末に福岡支店が閉鎖されることで、それまで福岡支店に仕事を発注していた大手企業M社も困っていたのだ。

 そこで、福岡支店数名が別会社を新設し、福岡支店の引継会社となったのだ。新会社A社、直人氏、M社は3者合意のもと、新しい受け皿会社を了解した。しかし、支払方法だけがまとまらなかった。大手M社は、三州とは取引はあったが、事実上実績のない新設A社とは取引できない。新設会社が大手に取引口座を開設することはできないのだ。

 直人氏が手を挙げた。支払いは三州を経由させることを提案した。実行可能な選択肢だったことから、3者は合意。6月、そして三州が破たんする7月も、新設A社は大手M社の仕事をこなしていた。

 A社は三州に対し、約束したように支払いを要求したが、なかなか実行されなかった。開業したばかりの企業にとって、回収の遅れは致命傷となる。しびれを切らしたA社代表は鹿児島へ向かい、直人氏への面会を求めたが、逃げ続ける直人氏。メールへの回答もなかった。その後、メールが届いたが、送ってきたのは三州の部長からだった。「7月20日か、21日に来てほしい」

 関係者にとって、最悪のシナリオが水面下で進んでいた。

(つづく)
【東城 洋平】

 

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