2024年03月29日( 金 )

阪神・淡路大震災から23年 マスコミに問われるものとは

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 1995年1月17日、午前5時46分。「関西では大地震は起きない」というそれまでの常識を覆す、マグニチュード7.3・震度7(観測史上初)の巨大地震が天地を揺るがした。死者6,434人、負傷者4万3,792人、住宅の被害は63万9,686棟。被害総額は9兆9,268億円に上った。内訳は住宅・店舗・工場などの建築物が約5兆8,000億円、港湾や道路などの社会インフラが約2兆2,000億円、電気・ガス・水道などのライフラインが約6,000億円となっている。

 この大震災は、日本社会にさまざまな教訓を残した。耐震改修促進法の制定、建築基準法の改正が行われ、地震に備えた法制度が整備されるなど、後につながるきっかけとなった一方で、今も解決されないままの課題もある。
 そのなかで、形こそないものの大きな影響を与えたのがマスコミに対する不信感が生まれたことである。90年代後半から2000年代にかけてのネット文化の成立と進化のなかで、従来のマスコミの報道姿勢に疑問が呈される事例は増えていったが、その嚆矢となったのがこの大震災だった。避難所の被災者に無遠慮にカメラを向けるマスコミに批判の声が上がり、また倒壊した家屋の上を飛ぶ取材用ヘリコプターの騒音で救助に支障が出る可能性が指摘されるなど、「伝える権利・知る権利」と「被災者の人権」とのせめぎ合いが浮き彫りになった。
 2011年の東日本大震災でも、マスコミの報道姿勢が議論になったのは記憶に新しい。とくに福島第一原発事故をめぐって、放射能の恐怖を過大にあおるものから、政府や電力会社の原発政策をむやみに擁護するものまで、極端な報道が乱発された。事実を伝えるよりも、見る人の耳目を驚かせることばかり狙うようでは、もはや報道とは呼べない。

 トランプ米大統領の登場で「フェイクニュース」という表現も一般的になった。報道機関としては、外部からの指摘に委縮せず、かつ謙虚で正確な情報発信を心がけたい。

【深水 央】

 

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