2024年04月23日( 火 )

「平壌五輪」化する「平昌五輪」南北統一チームにシラケる(前)

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 平昌(ピョンチャン)冬季五輪が近づいてきた。前回、このコラムで予言した通り、北朝鮮は新年から「対話攻勢」に出てきた。またぞろ韓国を籠絡しつつある。韓国の文在寅政権は、本質的には北朝鮮との同調勢力だ。「我が民族同士」のかけ声に従北政権はご機嫌なようだが、周辺国はうんざりしている。今後一カ月間余り、我々は南北政権が連携した「人情悲喜劇」を見せられることになる。しかし松竹や吉本とは違い、舞台がはねた後に残るのは、北朝鮮による核脅迫という興ざめの現実である。平壌(ピョンヤン)主導の「祭り」の後に、大韓民国の死体が転がっていなければ幸いである。

統一旗

 韓国アイスホッケーチームには、同情を禁じ得ない。ここに来て、突然の「南北合同チーム」を強いられることなったからだ。スポーツを政治利用してきた韓国政権らしい暴虐だ。おまけに李洛淵・韓国首相が「もともとメダル圏内にないからね」と記者懇談会で言い出す始末だ。東亜日報東京特派員出身だけに、元同業者相手に口が滑ったとはいえ、反スポーツ、国家背信の暴言だ。
 僕は、南北朝鮮が初めて統一チームを作った卓球世界選手権(1991年)を取材したことがある。千葉市幕張メッセで開かれた。当時、ソウル特派員だったので、おっとり刀で取材に駆けつけた。

 統一チームの女子選手たちが頑張って、中国相手に優勝をかっさらったが、僕が関心をもったのは、平壌からきた高位当局者である。名前を崔龍海という。父親が金日成の側近で、息子は金正日の側近として、浮沈を繰り返しながらも生き延びてきた。現在は金正恩時代の実質ナンバーツー(人民軍次帥)である。
 当時は北朝鮮サッカー協会会長をやっていて、来日する機会も多かった。「共和国から大物が来られてます」。試合会場で朝鮮総連幹部から耳打ちされ、その夜、都内で開かれたパーティーで「突撃取材」を試みた。警備の総連関係者に阻止されそうになったが、そこは大物ジュニアである。僕のソウルなまりの韓国語に苦笑しながらも、いろいろ答えてくれた。

 それから26年たった。韓国の政権は盧泰愚、金泳三、金大中、盧武鉉、李明博、朴槿恵、文在寅と変わったが、北朝鮮では金日成以来の王朝政権が続いている。崔龍海は1950年1月15日生まれ。68歳になった今、幕張での栄光シーンを思い出しているに違いない。
 日本も長期的な視野を持って、北朝鮮に対処するしかない。河野太郎外相が健闘しているのが幸いだ。河野一郎、河野洋平と続いてきた政治家ファミリーの三代目である。今のところ、最近の外相のなかでは傑出した言動を見せている。

 彼はカナダで開かれた外相会合で、次のように述べた。
 「北朝鮮の微笑外交に、足をすくわれてはならない。圧力を弱めたり、北朝鮮に何かを報いる時ではない」。さらに韓国を念頭に、北朝鮮の狙いは制裁緩和や経済支援、米韓演習の中止などを受けることであり、「ぶれない国とタフでない国」にくさびを打ち込むことだと明言した。彼ほど自分の言葉で世界情勢を語れる外相は、近年いなかった。
 これに対して、韓国の康京和外相は「対話は緊張緩和につながっている」と述べるに留まった。
 韓国と北朝鮮の「対話」は、「出来レース」と見るのが正しいだろう。

(つづく)

<プロフィール>
shimokawa下川 正晴(しもかわ・まさはる)
1949年鹿児島県生まれ。毎日新聞ソウル、バンコク支局長、論説委員、韓国外国語大学客員教授、大分県立芸術文化短大教授(マスメディア、現代韓国論)を歴任。現在、著述業(コリア、台湾、近現代日本史、映画など)。最新作は「忘却の引揚げ史〜泉靖一と二日市保養所」(弦書房、2017)。

 
(後)

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