2024年03月29日( 金 )

東日本大震災も「緊急事態とは判断できない」~官僚の保身術は誰を守れるのか

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「緊急事態とは判断できません」

 2011年3月11日から数日後。東日本大震災の影響で作業が遅れたことで、ある委託案件の期限延長を求めた民間調査会社のA氏に、ある省庁の職員がそう答えた。すでに福島第一原発が水素爆発を起こした後の出来事だということは強調しておきたい。
 「この話のキモは、この『判断できない』ですよ」と、当時この場面に居合わせた調査会社A氏は振り返る。「緊急事態ではない、とは言わない。そう言うと、その判断に責任を負わなければいけなくなる。もちろん彼らは上役に判断を仰いだりはしません、そうすると記録に残って、また責任を問われるでしょう」。

「この議事録は受理できません」

 これは、とある別の省庁の外郭団体職員のコメント。関係者が集まり、綿密な打ち合わせをした際のやりとりをすべて記録した議事録を送ると、こう返ってきたという。その後この職員と何度もメールのやりとりを行い、本来あったやり取りを削り、なかったやり取りを加え、『正しい』議事録を作り上げたコンサルB氏は、「彼らは電子的に残っているメールのやり取りすら証拠とは認めない。証拠は自分たちが認めた文書だけです」とあきれ顔だ。

 この2つのエピソードからは、官僚が構造的に抱える宿痾ともいえる責任回避の習性、つまり「ことなかれ」主義や無責任体質が見てとれる。この習性はあまりにも深く彼らに染みついているため、まれに見る大災害を「緊急事態とは判断できない」という、一般的な感覚とはかけ離れた言葉がよどみなく口をついて出るのだろう。とても同じ人間とは思えない、というのが、この話を聞いたときの感想だった。

 しかし良くも悪くも、彼ら官僚はこのやり方で日本という国を切り回してきた。そして彼らも、仕事を終えて家に帰れば夫として妻として、親としての顔で家族に接していたはずだ。どこかでそのバランスは取れていたのだろうし、自分たちの仕事にプライドもあったのだろう。
 それを土足で踏みにじったのが、今回の「忖度」「公文書改ざん」だろう。本来の指揮系統とは違うところから、見えない形で降りかかってきた圧力。自ら死を選んだ職員が何を思っていたのかを知るすべはもうない。だが普段官僚という仮面の下に隠していた人間としての感情の発露が、書類に記された「異様に精細な経緯説明」であり、その圧力に対するせめてもの抗いだったのではないだろうか。

 「記録に残っていれば、誰かが責任を取らなければいけない」という官僚たちの習性上、公文書改ざん問題のすべてを明らかにすることは難しいのかもしれない。だが、これを機に彼らの体質とそこにあったはずの理不尽な無形の圧力の構造を、解き明かしてほしいと願うばかりだ。官僚たちの身を守るためにこの習性は発達したのだろうが、もう一度自らが「Public Servant=公共の奉仕者」であることに立ち返り、引き継がれてきた因習や自己防衛、組織防衛の殻を脱ぎ捨ててほしい。その殻は最後にはあなたたちを守ってはくれないのだ。

 

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