2024年04月23日( 火 )

シシリー島便り・日本人ガイド、神島えり奈氏の現地レポート~シシリーでの子育て経験(前)

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 シシリー島についに夏がやって来た。11月から3月にかけて雨期となる冬は、湿度が90%を超える。ジメジメとし、気温は海側の街で最低気温が2℃~3℃、最高気温は10℃前後だ。

 内陸に数十キロ進んだ標高700m程の山は冬の積雪量が1m以上で、スキー場もある。海沿いに住む島民は雪を触りたくてスキー場へ出かける。そんな彼らがスキーをする様子を見ると小中学生のころまでスキーをしていた私としては、つい笑みがこぼれてしまう。

 シシリーが最も寒いのは1月、2月。4月下旬ともなると、観光シ-ズンが始まる。シーズンの始まりである今の時期は、何といってもシシリーの小さな島々がおススメだ。それほど観光客で混雑することもなく、トルコブルーの海を思う存分、満喫することができる。7月を過ぎると足の踏み場もないほどの混み具合で、ホテルなどの宿泊施設を抑えるのも難しくなる。

 トラパニ県にエガディ諸島があるが、そのうちの1つ、ファヴィニャーナ島には1800年代からマグロ工場として使われた建物が、現在も博物館として残っている。当時イタリア国内初の、幼児預かり所を職場の施設内に設けた場所だ。現在でこそ共働き、シングルマザ-の社会進出は当たり前になってきているが、その時代は大変画期的だったはずだ。

 シシリーの家庭ではおよそ80%の母親が働きに出る。正社員として雇用されて働く母親は大変少なく、パートで働く母親がほとんどだ。そんな女性たちの強い味方は、祖父母たち。一般的に中学生(家庭によっては高校生)までは、両親など大人が学校への送り迎えをする。40年ほど前までは、日本のように、近所の学校まで子どもたちだけで登下校をしていた。それが今日、「子どもが誘拐され遠くへ売り飛ばされる!」と人々は恐れ、学校の登下校だけではなく、近所で子どもたちだけで遊ぶ姿もほとんどなくなった。日曜日でもショッピングセンターや映画館、海辺の散歩など祖父母が孫たちの手を引いて歩いている光景は多い。

 私は、2007年6月3日にパレルモ市の市立病院で人生初の、しかも海外での出産を経験した。日本でさえ経験したことのないことに立ち向かう緊張感は、入院前まではそれほどなかった。ある日の朝、自宅で破水し、病院へ行くと安静のため、すぐ入院となった。

 予定日から1週間が過ぎていた。痛みもまったくなく、今晩か明日くらいの出産になるだろう、と言われ、のんびり夫と昼食をベッドでとった後、午後3時過ぎに陣痛が始まり、その痛みは人生で、これまでに感じたことがない未知の世界で、緊張と痛みのために、全身が麻痺状態になってしまった。陣痛だけでなく、ベッドのシ-ツをめくったその瞬間、夫と男性看護師は顔面蒼白になったそうだ。シーツは血で真っ赤に染まり、私は強い痛みと麻痺で話すこともできず、顔はまるで妖怪のようだったと夫は語る。

 病室内が看護師、医師たちの出入りで慌ただしく、意識が朦朧とし、質問をされても頭の中が混乱している状態の中、2時間後の夕方5時に娘を無事出産した。生まれ出てきたその瞬間、痛みはとれ、全身のしびれが一気にとけていくような感覚だった。出産翌日は、夫の親戚一同が生まれたばかりの赤ん坊見たさに興味津々で、病室内は30人以上の見舞い客で賑わった。

 腕には点滴がついたまま、母乳もあげないといけないし、少し1人になりたいと思ってしまう日本人の感覚とは違い、最大のイベントを皆でお祝いし、大事な瞬間を母親1人に放っておくなんて無神経な、まして外国人だし、というわけで出産3日後の退院まで人の嵐は続き、日本から母も手伝いに駆けつけてくれ、無事パレルモの自宅に戻った。

 海外での子育ては、義父母の厚い援助で現在に至るまで何とかやれている。産休を終え仕事に復帰したが、慣れるまでは大変だった。でも日本で子育ての経験がなかったのは逆に良かったのかもしれない。あらゆるサービスが完璧である日本と正反対の、そしてイタリア国内でもさらに後退しているシシリーで子育てなんて、と日本の方々からは思われるが、これが普通だと割り切ってしまえば意外とやりきれるものだ。

 乳児を連れて出かけるときも、日本のように便利ではない。たとえば、授乳スペースが公共の場にはまずほとんどない。ピッツェリアで隣のテーブルで授乳するママもいる。周りにいるこちらのほうが少し恥ずかしくなってしまう。

 オムツ替えのあるトイレも少ない。それだけ不便な社会でも、母親たちは自分のライフスタイルを崩さない。夜11時を過ぎても、ベビーカーを押しながら友だちとジェラートを食べたりする。決して「不良ママ」というわけではなく、また毎日というわけでもない。家の中に引きこもらず、ストレス解消口をそれぞれ見つけているのだ。とくに夏には、夜12時過ぎまでたくさんの家族連れや、友だち同士で街中や海沿いは人だかりになる。音楽をかけて踊ったりおしゃべりしたりする。話す内容は、料理、人のうわさ、親戚の悪口などがほとんどだ。

(つづく)

<プロフィール>
神島 えり奈(かみしま・えりな)
2000年上智大学外国語学部ポルトガル語学科を卒業後、東京の旅行会社に就職。約2年半勤めたのち同社を退職、単身イタリアへ。2003年7月、シシリー島パレルモの旅行会社に就職、現在に至る。

 
(後)

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