2024年04月18日( 木 )

名優静かに舞台を去る 津川雅彦氏の思い出

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 俳優・津川雅彦氏が、8月4日に亡くなっていたことがわかった。78歳だった。妻に朝丘雪路、実兄に長門裕之、祖父には「日本映画の父」と呼ばれるマキノ省三がおり、日本を代表する映画一族・マキノ一家に連なる名優だった。子役時代から長く銀幕の住人として知られ、円熟した中年期以降は伊丹十三監督作品で一癖も二癖もある人物像を好演。また、NHK大河ドラマなどの時代劇では徳川家康などの歴史的な人物を演じ、他に類を見ない存在感で画面にしっかりと重みを加えていた。晩年の政治活動に冷ややかな目を向けていた方もいるだろうが、かつて氏の娘が誘拐事件に巻き込まれたことから、拉致問題を「他人ごとではない」ととらえたうえでの活動だったという。

 記者は、氏と同じスクリーンに映った経験がある。2010年、エキストラとして参加した映画『あしたのジョー』でのことだ。白木幹之介役を演じた津川氏は、白いストライプの入ったダークスーツにソフト帽を粋に着こなし、撮影現場となった関東地方の某市役所屋上に現れた。その日撮影されたのは、矢吹丈と力石徹が初めてリング上で拳を交えるシーンだった。津川氏演じる白木幹之介が、2人の試合を見てボクシングジム設立を決意する場面でもある。

 この日は朝から雲1つない晴天。強い日差しが終日照り付けており、主演の男性アイドルは上半身裸の役柄ながら日焼けに気を遣い、ヒロイン役の女優にはカメラが止まるたびに日傘を持ったスタッフが駆け寄って影をつくっていた。だが津川氏は、準備された椅子に腰を据えたまま泰然と身じろぎもしない。時折スタッフが手にしたタオルで汗をぬぐう程度だ。

 そして、いよいよ津川氏の出番。津川氏はリングサイドに近寄るとロープをつかみ、張り具合を確かめるようにグッグッと何度も引っ張る。前年に肺気胸で入院し、手術を受けていたとは思えない力強さだ。口からよどみなく流れ出るセリフは、決して大声ではないが過不足なく現場の隅々にまで通り、長年映画の世界で生きてきたこの名優の確かな力量を感じさせた。

 丈と力石がクロスカウンターの相打ちでリングに沈む場面では、津川氏が「呆然と口を開けて驚く」というシーンがある。ここで記者は失策をやらかした。あまりにもオーバーに驚きすぎたため、曽利文彦監督から本番でNGを受けてしまったのだ。当然撮り直し、しかもエキストラである記者1人のせいだ。さすがに恐縮して津川氏の顔をちらりと窺ったが、いやな顔1つせずにニコニコと準備が整うのを待っている様子だった。思えば津川氏は、映画人生のなかで何千何万と撮影を繰り返してきたことだろう。素人のミスとはいえ、たかだか一度撮影が止まったからといって不機嫌になるはずもない。いらぬ詮索をした自分を恥じた一幕だった。

 完成した映画には、貫禄の演技を見せる津川氏の背後でほどほどに驚いた表情を見せる記者が映り込んでいる。数多く世に送り出されてきた津川氏の映画作品のなかで、『あしたのジョー』をベストに数える方は少ないだろうが、記者個人にとっては忘れがたい一作となった。
 津川氏は、勝新太郎、石原裕次郎という大スターたちと同時代を生きた。円熟を極めて「大名優」の高みに立った津川雅彦氏の逝去を、心から悼みたい。

【深水 央】

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