2024年04月25日( 木 )

脊振の自然に魅せられて(番外編3)~子どものころの思い出

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風呂

 この時代、内風呂がある家は、あまりありませんでした。私の住んでいた長屋では僕の家と舟木のおばちゃんの家ぐらいで、隣の由紀子ちゃんの家には内風呂がありませんでした。
 以前は私の家も銭湯通いだったらしいのですが、私が銭湯で皮膚病をうつされたのがきっかけで内風呂をつけたそうです。
 風呂は鉄砲風呂で、燃料は石炭です。釜の上から下の焚き口に石炭を入れるので炊きつけにはコツがいりました。風呂当番は私の役割です。薪と新聞紙で火をつけると薪が勢いよく燃え上がります。上から石炭を少しずつ乗せると、石炭に火が回り、「ゴーゴー」と音を立て燃えはじめるのです。垂直に伸びた煙突からは火柱が上がっていました。風呂が沸くまでに30分ぐらいかかりました。鉄砲風呂の為、たとえ上が沸いていても、よく混ぜないと下は水です。

 石炭を燃料としているので、時間が経つと煙突に煤が溜まって燃えにくくなります。
 ですから時々、煙突の掃除が必要でした。煙突掃除用の長い竹製のタワシをもち、ハシゴをかけて屋根に登り、煙突の傘をはずし、上から下にタワシを入れ何度も上下させ、ススを落としました。ですから梯子と煙突タワシが必需品だったのです。ミュージカル映画に出てくる「メリーポピンズ」の煙突掃除屋そのものです。
 煙突掃除が終わると顔と手が煤だらけになっていました。竹を割ってつくられた長い柄の煙突掃除タワシは丸めて小間物店に置かれており、子どもの時、肩から下げて買って帰ったことがあります。

 時々、隣の由紀子ちゃんと2人で風呂に入ることもありました。子どものころの混浴です。彼女と風呂のなかで少しエッチな話もしました。時々、彼女が「友ちゃん風呂よ」と呼ぶこともありました。淡い初恋だったかもしません。僕が小学校6年生の時です。

大やけど

 飯塚の借家で生活していた頃です。冬に母が七輪で大きな鍋に湯を沸かしていました。毛糸をほぐして丸めるためです。鍋からの湯気で1部屋しかない部屋は暖かくなっていました。父もいて家族だんらんの時間でした。
 私は奴凧の練習をしながら後ずさりをしました。真後ろには煮えたぎった鍋があるとも知らずに。

 この煮えたぎった鍋に倒れかかったことは覚えています。「ぎゃー」と隣近所にまで聞こえる叫び声をあげたと思います。それからは、ほとんど記憶がありません。父と母は血相を変えて病院に運んだと思います。今でも、玄関に大やけどをした子どもを見にきた大人の頭が幾重にも重なって見えたのをかすかに覚えています。
 やけどは左の大腿部の外側に縦30cm、横15cmくらいです。半ズボンを履くとかくれる場所ですが、子どものころは皮膚を移植し、跡が大きく残っていました。年とともに傷は薄れてきました。
 顔にお湯がかからなかったことが幸いでした。歩行にも支障がありませんでした。ストーブに薬缶をかけて暖をとる光景を見ると、今でもとても神経質になります。

(了)
脊振の自然を愛する会
代表 池田 友行

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