2024年04月19日( 金 )

人工知能(AI)は人間を見つめ直す鏡である!(4)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

玉川大学文学部教授 岡本 裕一朗 氏

神が人間をつくったのではなく、人間が神をつくった

 ――今度は、「AI vs宗教」について教えてください。

 岡本 人工知能と宗教の関係については、3つの側面から考えることができます。

 1つ目は人工知能が「宗教的な信仰の対象になる」かどうかです。これは「人工知能が神になる!」と表現され、人工知能と宗教の関係が論じられる時に、たいてい強調されてきた側面です。宗教とは何かという問題はとくに20世紀に入ってから変化し続けています。改宗は宗派を超えて頻繁に行われ、さらにカトリック信者のほうが、道教や仏教もミックスして信仰している例もあります。既成の宗教団体に従うより、自分らしい生き方を求めて、宗教を選択しているのです。

 19世紀のドイツの哲学者のルートヴィヒ・フォイエルバッハは、その著書『宗教の本質』、『キリスト教の本質』などのなかで、「神が人間をつくったのではなく、人間が神をつくったのである。しかも、人間の本質に合わせて神をつくったのである」と言っています。
 つまり、人間が信仰の対象として神を意識する時、その神は人間の「自己意識」に他ならないことになります。よく「全知全能の神」と言いますが、それは人間自身の理想が「全知全能」になることだからです。この自分自身の理想を、神へと投影するのが信仰といえます。人工知能は人間の知性をモデルとして人工的につくり出されたものです。人工知能が「宗教的な信仰の対象になる」(AI教)ことも可能なのではないかと思います。 
 個々人の生き方に合わせて、既存の宗教をミックスしたりするのは、AI教の最も得意な分野ともいえます。

今後、人工知能が宗教の中心部にまで浸透していく

 2つ目は「人工知能は神を信じるか」です。たとえば、「人工知能はキリスト教を信仰できるか」を考えてみます。通常、キリスト教を信仰するには、『聖書』を読むなり、牧師の講話を聞くなりします。これらの作業は、人工知能は人間以上に得意です。また、他人に対してどうふるまうかを考える時、人工知能は『聖書』の該当部分を引き合いに出して、行動指針を決定することもできます。「お経」を唱えるのは人工知能、ありがたい「講話」を行うのも人工知能、という状況になっても特別奇妙なことではありません。

 3つ目は、「宗教的メディア(媒介者)」としての人工知能を考えてみます。宗教(キリスト教の場合)の「メディア」といえば、教団や『聖書』でしたが、今後は人工知能がその役割を担うのではないかと考えられます。どんな宗教でも、信者と信仰対象を結びつける媒体(メディア)が重要な役割をもっています。この場合のメディアは単に新聞やテレビなどのマスメディアではなく、広い意味での「媒体」を指します。

 当初、『聖書』は修道院のような限定された場所で、手書きというかたちで伝承されてきました。近世になってグーテンベルクが発明した活版印刷で、技術的な転換が起こりました。そして今、活版印刷に代わるコミュニケーションメディアが登場しています。それは、デジタルテクノロジーに基づいた、全世界に張りめぐらされたネットワークです。

 その中心的な役割を担っているのが人工知能に他なりません。とすれば、近代初期に活版印刷の『聖書』がはたした役割を、現代では人工知能によるネットワーク・メディアがはたすようになることは容易に想像できます。今日、多くの宗教で、ネットを利用した布教活動が行われています。この動きは、今後急速に加速されるでしょう。「いつでも、どこでも」布教が可能だからです。こうした状況を踏まえると、やがて人工知能に悩みを打ち明け、人生相談をする日が来ます。人間の場合、回答者の知識や経験は限りがあり、下手をすると、自分の感情に基づいて、独断的な回答をすることもありますが、人工知能にはそのような偏りはありません。

 以上の3つのことから、今後は人工知能が宗教の中心部にまで、浸透していくことは間違いありません。

時代が大きく転換する時、哲学が活発に展開される

 ――最後に読者にメッセージをお願いします。

 岡本 現代は、16世紀(宗教改革など)に匹敵する、歴史的転換点にあります。このように時代が大きく転換するときには必ず、哲学が活発に展開されてきました。賢明な読者の皆さまは、遺伝子組み換え、など個々の事象に興味をもつことも大事ですが、時代の転換点という大きな枠組みで現代を捉えて欲しいと思っています。

今国民の間には「社会の格差」と同様に「意識の格差」が拡がりつつあります。ネットで、自分の好きな情報だけを“正しい”と思いこむのではなく、あらゆる方向にアンテナを張り、貪欲に社会の変化を感じてほしいと考えています。それは、早晩、今までのやり方では、すべての人が立ち行かなくなる日が来るからです。

(了)
【金木 亮憲】

<プロフィール>
岡本 裕一朗(おかもと・ゆういちろう)

 1954年福岡生まれ。九州大学大学院文学研究科修了。博士(文学)。九州大学文学部助手を経て、現在は玉川大学文学部人間学科教授。西洋の近現代思想を専門とするが、興味関心は幅広く、領域横断的な研究をしている。
 著書として『フランス現代思想史―構造主義からデリダ以後へ』(中公新書)、『思考実験―世界と哲学をつなぐ75問』、『12歳からの現代思想』(以上、ちくま新書)、『モノ・サピエンス物質化・単一化していく人類』(光文社新書)、『ネオ・プラグマティズムとは何か―ポスト分析哲学の新展開』、『ヘーゲルと現代思想の臨界―ポストモダンのフクロウたち』、『ポストモダンの思想的根拠―9.11と管理社会』、『異議あり!生命・環境倫理学』(以上、ナカニシヤ出版)、『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社)など多数。

(3)

関連記事