2024年04月24日( 水 )

【圓應寺暴行事件】被害者を誹謗 三木副住職に問われる「僧」としての資格

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三木 英信 副住職

 ここ数年、スポーツ界でのパワハラや部活動中の暴行事件が相次いだ。国技である大相撲をめぐっては、暴行を受けて横綱をクビにした力士が今度は自らが加害者となり引退に追い込まれるなど、「暴力」に対する世間の目は厳しくなる一方だ。

 そうしたなか、発覚した僧による弟子への暴行という驚愕の事件。いかなる理由があろうとも許されることではあるまい。加害者である浄土宗「圓應寺」の三木英信副住職のタチの悪さは被害者である弟子の青年やその家族の心情を無視して自己弁護を繰り返していることだ。報道関係者などへの「言い訳」を並べてみると被害者をおとしめる三木副住職の薄汚い姿が浮き彫りとなる。

 三木副住職が青年に暴行を加えていたことは、残された写真や診断書、関係者の証言でも明らかである。本人もその点だけは認めている。しかし、三木副住職の反省は口だけで、自らの暴行を正当化することに懸命だ。報道関係者や寺の関係者に三木副住職の発言を聞き取りした。

 「『家族からは厳しく指導してくれ、叩いてもいい』と言われていた」――三木副住職は複数の報道関係者に対し、このように発言している。青年の母親は三木副住職に何度か「いうことを聞かないなら、厳しく指導してください」という旨の発言をしていたことを認めている。だが、スポーツや教育現場において、保護者から指導を任されたからといって、実際に手を挙げるような指導者がいるだろうか。いまの時代、そうした指導者が社会的に認められないのは明らかで、どのような言い訳も通用しない。荒い言葉でもパワハラと認定される時代なのだ。

 重ねて述べるが、今回の暴行の背景を尋ねられて、「家族の了解を得ていた」という言い分は絶対に通らない。当日の暴行は「体罰」の範疇をはるかに超えており、救急搬送されたうえに、加療7日間を要する傷を負わせたという現実がある。

 「寺に竹刀や木刀はない。(報道された)木刀や金属棒では殴っていない。素手で殴った」――三木副住職は、殴ったことは認めているものの、道具は使っていないのだという。しかし、青年の背中に残されたアザから判断して、素手の殴打でつくものではない。寺には空手道場があり、練習の際に竹刀を用いていたこともわかっている。三木副住職は空手の有段者で、素手による打撃でさえ一般人よりも攻撃力が高いことは明らか。この点についても、言い訳は通用しない。

 「服を着ていたので、自分がつけた傷かはわからない」――この卑劣漢が、青年の体に残されたアザや傷の写真を見て、報道関係者に答えた発言だという。“因果関係が証明できまい”と言いたいらしいが、それなら示談を申し入れる必要はなかっただろう。「ほかの誰かが加えた傷かもしれない」――副住職のこの発言を聞いた被害者家族は、唖然としたという。

 修行中、三木副住職は青年の母親に対して何度も、被害青年に対するダメ出しメールを送っている。「いうことを聞かない」「ごまかした」「態度がひどすぎる」――このメールが届くたびに母親は息子を責め、自分をも責めていた。しかし、それがすべて暴力を正当化するための詭弁であったことは明白である。

 それを裏付ける証拠もみつかっている。寺関係者が婦人会との酒席に招かれた際に、副住職から母親に届いたメールがある。「(青年が)酒を飲んで、浮かれている」「いうことを聞かない」「ふざけている」と連続するメッセージに母親は心配になり、同席していた副住職の妻に様子を聞いたところ、青年はとくにおかしい行動を取っているわけでもなく、「大人しくしている」という内容のメールを受け取っていたのだ。副住職が母親に報告した内容は、でっち上げだった可能性が高い。

 三木副住職による一連の行動は、被害者の傷口に塩を塗り付けるに等しいおぞましいものだ。なんと言い訳しようと、三木氏に僧としての資格はない。

 取材班は、三木氏が僧である以前に、人間としてどうであったかを問うべきだと考えている。多くの関係者から寄せられた別の被害証言のうち、裏付けの取れた事実だけを報じていく予定だ。

【特別取材班】

 
 

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