2024年04月25日( 木 )

新しい「姥捨山」の実現を求めて(後)

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大さんのシニアリポート第74回

 私が住む地域はすべて中高層の集合住宅(公営・UR、約2,000戸)である。毎年1・2件の飛び降り自殺がある。高齢者の場合には、簡単な現場処理をしておしまい。花が添えられることも、手を合わせる人の姿も目撃したことはない。住民の話題になることはあっても、すぐに忘れ去られる。10数年前、2,400万円という自治会費の詐取事件があったが、原因究明も再発防止の具体策もとられることはなかった。いつの間にか下校時の子どもを見守る住民の姿も消えた。おかげで子どもへの痴漢が多発している。近くの公民館で開催される高齢者向きの講演会やフォーラムに参加するのは、数人程度。あらゆることに対して無関心を装う。無縁社会の真の姿がこの地域にはある。

 高齢住民は、訳あって田舎を棄て(田舎に棄てられ)た人たちである。だからこそ、最も必要とされるはずの“絆”を積極的に求め合おうとしない。日本会議が声高に唱えるような「伝統的な家族観の固守」というお題目は、もはや夢物語にすぎない。戦後の高度経済成長における地方から大都市への働き手の大量流入。住宅確保のための「狭小集合住宅」の乱立。それにともなう必然的な「核家族化」。そして経験したことのない「超高齢化時代」の到来。時代が完全に親と子を分断してしまったのだ。

 私は拙著のなかで、「家族の再構築は不可能」、だからこそ“新しい絆”をつくるべきだと提言した。それは桜井政成(立命館大学政策科学部教授 副部長・政策科学)が唱える「江戸時代以降の伝説のいくつかについては、高齢者が一軒家に集住し、互いに助け合いながら生活し、そして死を迎えたという。すなわち、今でいう『セルフヘルプグループ活動』『コーポラティブハウス』がすでに近世のムラ社会には存在していた可能性が高いのである。たとえば柳田国男の『遠野物語』には、『デンデラ野』という地域で、高齢者相互扶助システムが行われていた伝説が掲載されている」(ブログ/考えるイヌ~桜井政成研究室~)という発言に啓発を受けたからだ。「デンデラ野」とは「姥捨山」のことである。サブタイトルの「新しい『姥捨山』のかたちを求めて」は、桜井がいう「コーポラティブハウス」を指す。

 具体的には「高齢者同士の同居」を模索することなのだが、見知らぬ者同士が自主的にひとつ屋根の下で生活をともにしている実例が見つからない。そんなとき平成26年2月4日の朝日新聞に、「乙女ハウス 困窮問う 貧困脱却へ 空き家提供3年」という小見出しで、横浜に女性専用のシェアハウスの記事を見つけた。低賃金や派遣労働など不安定な雇用形態により、一人暮らしができない女性に住んでほしいと1人の女性が空き家を提供。名前を「乙女ハウス」(今はない)。家賃1万円。20代から50代の女性5人が暮らした。ドキュメンタリー映画監督の早川由美子がこれを映画にした。「持ち家を空き家にせざるをえなくて悩む人が増える一方、住む場所がなくて困る人たちがいる現実がある。日本が抱える住問題を考えるきっかけになれば」と撮影の動機を述べている。ここに独居高齢者が抱える「無縁社会」にどう生かしていけるかのヒントがある。

 同新聞(平成30年12月6日)に、「高齢者と学生 同じ屋根の下で暮らす」と題して、高齢者の自宅の空き部屋に学生を格安で下宿させ、互いに助け合う「互助の精神」をもちながら生活する「異世代同居」の取り組みを紹介している。部屋を貸すことで高齢な家主の見守りや孤独死を避けることができ、町内会の行事への参加を条件に加えれば地域の活性化にもつながるという利点もある。市内のある住宅街(かつての高級住宅街)では、二階に上がれない高齢者が多く住む。ある人が「二階を学生に貸せば互いにメリットがある」と勧めたものの、拒否されたという。「自分が建てた家に、他人を入れたくない」というプライドがそういう態度をとらせたのだろう。「日本人は住宅にプライベート意識が強く、気をつかったり遠慮したりしがちで、他人との同居のハードルは高い」と指摘する学者もいる。「高齢者相互扶助システム」という発想には、私が運営する高齢者の居場所「サロン幸福亭ぐるり」を地域の“核”とし、その周辺に住む住人が互いに支え合うという形態も可能だ。理想の「コーポラティブハウス」作りを目ざすためには、さまざまな選択肢を提案していくしかない。

(了)

(74・前)

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