2024年04月19日( 金 )

ストック活用により新たな価値を生み出す 現代における新たなかたちの『家守』(前)

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(株)北九州家守舎 代表取締役 遠矢 弘毅 氏

 江戸時代における長屋の大家である「家守(やもり)」は、借地管理から家賃徴収、店子の生活面の面倒など、その地区におけるマネージャー的な役割を担っていた存在。北九州市の小倉都心部において、リノベーションによるストック活用で「まちの再生」に取り組む仕組みづくりを行っているのが、現代の家守というべき(株)北九州家守舎だ。同社代表取締役の遠矢弘毅氏に、人口縮小時代におけるエリアマネジメントによるまちづくりについて聞いた。

ハコありきではなく人ありき

 ――まず、(株)北九州家守舎についてお聞かせください。

第1号プロジェクトとなった「MIKAGE1881」

 遠矢 もともとは、北九州市が2010年7月に「小倉家守構想検討委員会」を設置し、11年3月に「小倉家守構想」を策定したのが始まりです。それと同時進行的にリノベーションを使った開発が進み、また、新しいまちづくりの手法として「リノベーションスクール」というものが始まりました。ただし、11年8月に開催された「第1回リノベーションスクール@北九州」では、具体的な物件を対象として5つのプランができたのですが、そのどれもが“絵に描いた餅”で、結局のところ実現には至りませんでした。そのため、オーナーと一緒になって推進する新しいタイプのまちづくり会社が必要ではないかということで、12年4月に設立されたのが「(株)北九州家守舎」です。創業メンバーは、らいおん建築事務所代表の嶋田洋平氏と、九州工業大学の徳田光弘准教授、北九州市立大学の片岡寛之准教授、そして私の4人です。

 設立して最初に取りかかったのは、第2回リノベーションスクールの対象物件であった小倉北区魚町の「松永ビル」の一部をリノベーションした「MIKAGE1881」でした。ここはもともと路面電車が通っていたころはまちの中心地であり、30年くらい前までは家具屋だったビルで、その後はファッションテナントが入っていました。ただし、その5階部分・60坪が十数年間も空いていて、そこを借りてスモールオフィスとコワーキングスペースを合体させたような施設をつくろうと始めたのが第1弾プロジェクトです。プロジェクトを進めるにあたっては、「まちなかに若者が集まるような施設をつくります」という方針を示してまちの“重鎮”の方々に出資を募り、12年10月の「MIKAGE1881」オープンに漕ぎ着けました。

 ――オープン後の反響はいかがでしたか。

 遠矢 想定していた以上に、とても良い反響でした。というのも、ここ小倉・魚町というまちの中心地は、実は福岡・天神並みの家賃設定で、小倉駅周辺などはいまだに坪3万円などの強気な家賃設定となっています。敷金や内装費なども含めると、小さなテナントでも数千万円の資金がないと商売ができないといったように、若い人が商売をするには手ごろなテナントが少ないというような状況でした。そうしたエリアの一角であったことに加え、入居するための金銭的なハードルをかなり下げたことで注目を集め、オープニングパーティの際には立錐の余地もないくらい、多くの人が集まってくれました。

 ただし、「どんな人に入ってもらうか」というところはかなり重視しました。我々の開発の面白いところは、「テナント先付方式」といいますか、先に施設をつくって入居者を募るのではなく、周りを引っぱっていけるようなタイプの開発者やデザイナーの方々など、「この人なら」という人を“一本釣り”して集めて入居してもらいました。

 ――先に入居者の選定や声かけから始めて、ある程度、集まって全体像がみえてきたところで施設の工事に着手するわけですね。

 遠矢 そうです。とくに「MIKAGE1881」のときは入ってほしい候補者の方々に、「ほかにどういう人に入ってほしいか」「どんな設備がほしいか」などの意見を聞きながら、設計にも反映させていきました。ハコありきの進め方ではなく、人もしくは中身のソフトありきで、それによってハコのほうをカスタマイズしていくようなイメージです。

商店街を株式会社化し、地域との関係性を構築

 ――北九州家守舎では、これまでにどのくらいのプロジェクトを手がけてこられましたか。

 遠矢 我々は、「新しい働き方」「新しい生き方」のようなことを、皆がやりやすい場をつくろうというようなところから、いろいろな開発を行ってきました。そしてその手法は、お金をかけずに、既存のものをうまく使いながらやっていくやり方です。今、弊社は6期目になりますが、これまでに20くらいのプロジェクトを手がけてきております。とくに2年前くらいまでは、同時進行でいくつものプロジェクトを抱えていました。

 ――「MIKAGE1881」以外で、とくに印象的なプロジェクトはありますか。

空き地とコンテナを利用したイタリアンバー
「cucina di TORIYON」

 遠矢 14年10月にオープンしたイタリアンバー「cucina di TORIYON」(クッチーナ・ディ・トリヨン)は面白いかもしれません。ここは、コンテナを利用した飲食店なのですが、もともとは火事でビルが焼けて、元のビルのオーナーさんが「新しくビルを建てるつもりはない」として、空き地になりそうな場所でした。その一方で、この場所が位置する「魚町サンロード商店街」組合では、老朽化が進んで維持・管理ができないとして、アーケードを撤去しようという話が出ていました。ただし、補助金だけでは撤去が難しいという課題を抱えており、そうしたなかで、さらに空き地ができるのは困りモノ、といった状況でした。

 そこで我々は、火事で焼けた跡地を利用して、商店街が潤い、かつ人も集まりやすいものを考えたときに、「開かれた飲食店」があったほうがいいよねという提案を行いました。ただし、商店街を潤すための方策を商店街組合と調整しないといけませんが、組合と話をしていてはなかなか進みません。そこで、組合とニアリーイコール(≒)の株式会社をつくってもらって、その株式会社と我々とが、共同でここの開発をしていこうというプランを立てました。そうして設立したのが「鳥町ストリートアライアンス」という株式会社で、立てつけとしては、空き地に鳥町ストリートアライアンスがコンテナを置き、そのコンテナを北九州家守舎が借りて営業を行う。そしてそのコンテナの賃料を、我々が商店街組合に支払い、それをアーケード撤去の原資に充てていこうというかたちとなりました。

 これは、かなり良い発明だったのではないかと思います。我々が頑張ると、商店街組合――つまり町内も潤う。また商店街組合の人も、まちを賑やかにするためということで、いろいろと協力的にやってくれるという関係性ができました。この「cucina di TORIYON」は現在も我々が運営して商店街組合に家賃を払っていますが、オープンしてからこれまで、非常に良い流れで経営ができています。

(つづく)
【坂田 憲治】

<COMPANY INFORMATION>
(株)北九州家守舎

代 表:嶋田 洋平/遠矢 弘毅
所在地:北九州市小倉北区魚町3-3-20
設 立:2012年4月
資本金:1,600万円
URL:http://www.yamorisha.com

<プロフィール>
遠矢 弘毅(とおや・ひろき)

1967年、鹿児島県阿久根市生まれ。90年、北九州大学商学部卒業。(株)九州リクルート企画(現・リクルート)、会計事務所などを経て、2006年に(財)北九州産業学術推進機構でインキュベーションマネージャー(日本新事業支援機関協議会認定IM・22期)に認定された。現在、(株)北九州家守舎・代表取締役、(株)ユナイトヴィジョンズ・代表取締役、リノベーションまちづくり推進協議会副会長、九州ビジネスインキュベーションプラザ幹事など、数々の役職を務める。

(後)

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