2024年04月20日( 土 )

屋台条例施行から5年 「福岡らしい屋台文化」は守られているか?

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 「福岡市屋台基本条例」(以下、屋台条例)が2013年9月に施行されてから、5年が経過した。17年4月には、「名義貸し」などのコンプライアンス的にグレーゾーン上にあった屋台が排除され、新たに公募屋台による営業がスタート。その際には、営業時間をめぐる屋台営業者と区役所職員との小競り合いなどがクローズアップされたが、それは本質ではない。屋台条例の狙いは、屋台を福岡市から指導監督を受ける「都市の装置」とすることにあるからだ。言い換えれば、屋台を取り巻く「カオス」や「闇」の部分を取り除くことが狙いだったといえる。行政の指導監督の下、「福岡らしい屋台文化」はどのように変わったのか。過去の経緯を整理しつつ、現状を検証してみた。

60年代をピークに屋台数が年々減少

 福岡市の屋台は、終戦直後のドサクサのなか、自然発生的に簡易店舗で始めたのがルーツだと言われている。衛生管理上の問題などから、1949年にGHQによる取り締まりを受け、一時「屋台全廃」に追い込まれたが、50年に屋台事業者が「福岡市移動飲食業組合」を結成。関係する行政機関などに対し、屋台存続運動を展開したと言われている。

 一連の存続運動が実を結んだのか、福岡県は55年11月、所管部長名で、福岡市など県内自治体の保健所長宛に「ろ天飲食店などの営業に対する措置について」を通知。通知文書には、屋台営業の状況について把握し、営業許可申請があった営業者については、基本的に許可を与える旨が明記されていた。その一方で、無許可営業の屋台については「一掃する」よう促す記述もあった。

 62年以降、福岡県警から道路の使用許可をとれば、基本的に誰でも屋台営業ができるように。その後、屋台数は増加の一途をたどり、同市の屋台数は60年代にピークを迎えた。その数は65年には427軒に上った。

 しかし、70年代以降、屋台数は一転して減少の一途をたどり、2000年には200軒を切るまでに落ち込んだ。この間の屋台数減少の原因について福岡市に確認したところ、「把握していない」との回答があった。この間の屋台数減少の原因は不明だ。

 その後、95年になると、福岡県警が「屋台営業は原則一代限り」として、新規参入者を原則認めない方針を打ち出した。このルール化により、屋台の継承は原則として、屋台営業者の「配偶者」か「直系血族の子である相続人」に限られ、かつ屋台営業による収入により、「主たる生計を立てている者」に限定された。これが屋台数の減少の一因になったという見方がある。少なくとも、95年以降の減少に関しては当てはまる。

提言書をベースに屋台条例を作成

 福岡市が「屋台指導要綱」を施行したのは2000年。要綱により、屋台に対し正式に道路占用許可が与えられるようになった。要綱施行以前は、同市には、道路の占用許可を始め、路上での屋台営業に関するルールがなく、“慣習的に”屋台営業を黙認してきた経緯がある。当時の行政は鷹揚なものだったらしく、明確なルールもないまま屋台営業は黙認され、その数を増やしていったようだ。

 その後、10年には屋台数は150軒ほどまで減少。危機感を覚えた高島宗一郎福岡市長は11年6月、「このまま福岡から屋台が消えてなくなってもいいのか、私は福岡のまちに屋台は残すべきだ」と発言。屋台存続のための環境、ルールづくりを行う考えを示した。同年9月には「屋台との共生のあり方研究会」を設置。12年4月に提言書をまとめた。

 提言書では、屋台をめぐる課題について、多くの市民が「衛生面、悪臭、トイレや料金の不明瞭さなどに問題を感じている」「要綱が十分に遵守されていない」ため、「屋台に対して迷惑を感じている地域住民がいる」、路幅の確保など「市が実施すべき施策として示されたものが、いまだ完了していない」などと指摘。そのうえで、

(1)屋台営業者や行政に対する不信感の払拭
(2)観光資源としての屋台の活用
(3)公共空間における「都市の装置」としての自覚と責任
(4)福岡のまちと屋台の共生

の4つの基本的な方向性を示し、あるべき将来像のためのさまざまな施策について提言している。
 この提言書をベースに、13年6月に「福岡市屋台基本条例(以下、屋台条例)」が成立。同年9月から施行された。条例の主なポイントは次の通り。

(1)福岡市の屋台営業者に対する責務(指導監督など)<第4条>
(2)屋台営業者の客に対する責務(安心安全な飲食サービスの提供など)<第5条>
(3)利用者の地域住民に対する責務<第6条>
(4)屋台営業者に対する占用許可、道路使用許可、営業許可の義務化<第7条>
(5)市による屋台営業者の公募、選定<第25、26条>
(6)屋台営業の通算期間の設定(最長10年間、その後は再度公募する)<第27条>
(7)屋台営業者による市整備設備の使用義務(給水装置、汚水舛、電気箱)<第32条の2>

 (1)~(4)、(7)は、「あって当然」レベルのルールだといえよう。
 (5)については、市が設置する屋台選定委員会が屋台営業候補者を選定し、市長が決定する。選定基準には、「市民や観光客に親しまれ、観光資源として福岡市を広報することができる屋台」を目指す、「福岡らしい屋台文化を守る」などの「創意工夫が見られる」ことなどが挙げられている(施行規則第19条)。(6)について、最初の許可の上限は3年で2回延長できる。1回目の延長は2年以内、2回目は5年以内となる。

名義貸し屋台に「生活再建」の猶予期間

 福岡市は条例施行前後に、屋台営業の実態に関する調査を実施。道路占用許可を受けた者以外のいわゆる「名義貸し」状態の屋台営業者47軒に対し、是正勧告を行った。その後、14年4月時点で、名義人による営業に是正した屋台が12軒、条例に適合する承継人に是正した屋台が3軒、廃業した屋台が1軒。残りの、是正しなかった名義貸し屋台は31軒だった。

 名義貸し営業を放置した31軒は、条例に照らせば、単なる「不法営業」であり、即廃業となる。ところが、市は名義貸し屋台営業者に対し、新たな収入源などを探す生活再建のための猶予期間として、3年間の「生活再建期間」を与え、その後の営業を事実上認めた。市による温情措置といえる。生活再建期間が終わった17年3月末までに、31軒すべてが廃業。数十年間にわたる不法営業状態が解消したことも意味する。

 屋台公募には、生活再建屋台25軒を含む108軒が応募した。審査は2次にわたって行われ、1次では営業計画書や住民票などの書類選考が行われたようだが、選考プロセスなどは非公開のため、不明な点が多い。最終的に約20軒の公募屋台が決定された。18年12月時点の屋台数は100軒程度。同市では今後、「110軒を目安」に新たな屋台の公募を行っていく考えだ。

行政と屋台営業者の真の相互連携を

 今回の取材は、福岡市の屋台の歩みや屋台条例制定の経緯と成果などを中心に、淡々と事実関係をたどる目的で始めたものだった。ところが、事実関係を追っていくなかで、しばしば不自然な点に首をかしげることがあった。

 そもそも屋台をめぐる取り組みは、高島市長の「屋台を残したい」という発言から始まったというストーリーだが、発言当時約150軒あった屋台は、条例施行後の現在100軒あまりで、さらに減少している。屋台の「数」ではなく「質」が問題なのか。そうであれば、なぜ最初からそう言わないのかという疑問が残る。

 70年代以降、20数年間にわたって100軒以上の屋台が減少している原因について、市が「把握していない」のも不可解だ。70年代以降といえば、政令市移行のタイミングと重なる。市に営業許可などの権限が移って以降、屋台に関する情報がなくなるのは、理解に苦しむところではある。

 前出の「屋台との共生のあり方研究会」は、提言書のなかで、「地域住民(利用者)」「屋台営業者」「行政」の三位一体での“屋台づくり”を求めている。屋台条例でも、行政(市)と屋台営業者などが相互連携し、(1)「市民、地域住民および観光客に理解され、愛される屋台」、(2)「観光資源として福岡市を広報することができる屋台」、(3)「まちににぎわいや人々の交流の場を創出する都市の装置としての役割をはたし、まちの魅力を高める屋台」――の実現を目指す旨が明記されている(第2条)。

 将来的に、「市と屋台営業者など」による「相互連携」とは、どのようなものになるのだろうか。まさか、市にとって与しやすい屋台営業者ばかり選んでおいて、相互連携とはいえないだろう。「福岡らしい屋台文化」の成否は、この点にかかっていると思われる。

【大石 恭正】

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