2024年04月20日( 土 )

米中貿易経済戦争の本質:5Gをめぐる主導権争い~HUAWEI(華為)に対する米国の対応から見える焦り(5)

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東洋学園大学教授 朱建榮 氏

HUAWEIの任正非会長は現代の渋沢栄一

 もう一つのHUAWEI非難の「うわさ」がある。任正非会長はかつて解放軍に服役したことがあるため、「だから人民解放軍とつながりがある」との説。日本の新聞記者もこの説をよく引用している。

 しかし、かつて軍に服役したから、との理由であれば、韓国エリートはほぼ全員その経験がある。日本の企業など各界で活躍する人の多くも自衛隊員の経験がある。米国も同じだ。かつて服役した、それだけの理由で、「だから軍といまだにつながっている」との説を平然と書く人は、アメリカの説なら何でも信じてしまう癖からか、真実を追求する気持ちを失っているかと疑われても仕方ない。

 しかし、真相を掘り起こそうとするジャーナリストはやはりいる。台湾『聯合報』系の「世界新聞網」が2018年12月8日、これに関するスクープ記事を掲載した。

 実は任会長の父親は文化大革命中、政治犯(反革命分子)だった。だから政治に距離を置き、技術畑に没頭した。ちょうど軍の工兵部隊に技術者がほしいから入隊したが、腕が優れても認められなかったため「慎重で低姿勢」の性格を形成した。除隊後、転々としてついに自分の企業「華為」を興すことになったが、いつも「政府の背景を持つ国有企業」にハンディをつけられたため、常に部下に対して、「とにかく生き抜いていけ」と求めた。    

 中国の主要情報サイトの一つ「騰訊網」の長編記事でも、創業初期の任氏は深圳にある十数平方メートルの小屋に父母と同居し、ベランダでご飯を作り、親はいつも市場で捨てられた野菜の葉っぱや死んだ魚とエビを拾ってきておかずにした、とルポしている。

 任会長は普段寡黙な方で自分のことをめったに話さない。しかし意気投合したSONYのCEO吉田憲一郎氏との対談で自分の歴史についてようやく口を開いた。その記録も中国で紹介されているが、それによると、軍の工事建設技術者が深刻な不足だったため1974年、「工程兵」(道路建設担当の軍隊)の技術者としての入隊が認められたこと、退役後、国有企業に一時勤務したが業績と提案が認められず、そこから辞任(除名との説も)して1987年、HUAWEI(華為)を日本円35万円を共同出資して創業したこと、最初の20年間、企業は何度も窮地に追い込まれ、任氏本人は何度もうつ病にかかり、自殺を考えた、という。 

 このような経歴を持つ任正非会長は常に当局と一定の距離を持つ。どんな社会的な職務も名誉ももらわない。今でもHUAWEIの株上場をせず全社員に株を持たせ、本人は1%強しか持たないが、国有企業や当局からは株式参入の道を封じた。それでもHUAWEIは暗に政府の影響下ではとの疑いに対し、内情を知るある友人からこう言われた。 「任さんが娘・孟晩舟を後継者にしようとしていることを周りは皆知っている。少しでも当局に口出しの余地がある中国の企業なら、娘に地位を譲ることがありうるか」。(右の写真は1987年、任正非氏が起業当時の「華為」会社の建物)

 先日、テレビ東京の経済情報番組に出演した際、同席した日本経済新聞の論説委員太田さんは、「例の島国有化以後、日本での展示・交流活動にほかの中国企業は皆来なくなったが、HUAWEIだけ日本での活動予定を一切変えなかった」と話した。

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 僕は中国の一般労働者家庭に生まれたが、任会長の歴史を調べていくうちに、どこか自分の経歴とダブったように感じられ、ますます敬意を持った。日本近代の企業家と言えば、一番尊敬したのは渋沢栄一だ。この二人とも、自国の真の民間企業を育て、結果的にそれぞれの国の近代化を引っ張ったという点で似ているのではないかと思った。
ちなみに、カナダで拘束された任会長の愛娘孟晩舟氏は日本が大好きで何度も来日している。3.11東北大地震の際、日本企業を含め、ほかのほとんどの企業が福島から撤収した中で、孟晩舟氏は放射線防護服を身に着けて第一線で通信施設の修復の陣頭指揮を執った。香港で東京行きの飛行機に乗り換えたが、乗っていた乗客は孟氏を含めてわずか二人だけだった。

 HUAWEIの日本での貢献を知っているある日本人一般市民が、孟晩舟氏がカナダで拘束された後、HUAWEI日本本社宛に彼女を激励する手紙を送った(前の頁の写真参照)。この文は手紙の内容を詳しく紹介する余裕がないが、保釈中だが依然監視下に置かれていた孟氏自身は日記でこの手紙のことを取り上げ、「自分の心を温めてくれた」と書き残した。

(つづく)

<プロフィール>
朱建榮(しゅ・けんえい)

1957年8月生まれ。中華人民共和国出身。81年華東師範大学卒業後、86年に来日。学習院大学で博士号を取得。東洋女子短期大学助教授などを経て96年から東洋学園大学教授。

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