2024年03月28日( 木 )

建築との出会いからこれまで 建築家から見た福岡のまちづくり(1)

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SAKO建築設計工社 代表 迫 慶一郎 氏

 中国を中心に、世界各国で独創的な建築を生み出す建築家として注目されるSAKO建築設計工社代表の迫慶一郎氏。迫氏が建築家を目指したきっかけから、中国に進出して数々の建築を世に発信してきた経験談、さらに福岡の『まちづくり』に対する現状や、今後の発展の可能性について聞いた。

建築家を目指した幼少期のきっかけ

 ――まず初めに、迫さんの生い立ちについてお聞かせください。

 迫 私は、福岡市の南区で生まれ育ちました。小学校2年生のときに父が他界してから春日市に移り住みまして、家の周りが山や池に囲まれた、自然が豊かな環境で育ちました。小学校ではソフトボールをやり、中高と野球に明け暮れて、ずっと野球漬けでしたね。その後、九州大学の建築学科に行く予定だったのですが入れてもらえず(笑)、翌年、東京工業大学の建築学科に入学しました。

 ――大学で建築学科に行かれたことが、そのまま建築家を目指されたきっかけになったのでしょうか。

北京建外SOHO(集合住宅・複合施設)

 迫 幼少期に2つのきっかけがありました。1つは、手書きの看板製作をしていた祖父の影響です。そしてもう1つは、小学生のころ、自宅付近で住宅団地が造成され、周りで2階建ての木造住宅がどんどん建っていくのを見て、大工さんがすごくかっこよく見えたことですね。それで、最初は大工というのを職業にしたいなと思っていて、5年生のときに将来の夢を、迷わず「大工」と書いたんです。隣の仲の良かった友人もずっと大工になりたいと言っていて、私が「大工になりたいと書いたよ」と言ったら、その友人は「建築 家(けんちくいえ)」と書いていたんですね。「なんだ、そのけんちくいえというのは」と聞いたら、友人が「大工よりも大きいものをつくるんゼ」と言われ、よくわからなかったんですが、私も負けていられないなと思って、「けんちく いえ」と書きました。それが、今の仕事をすることになった最初のきっかけですね。

 それからそういう仕事をやりたいとずっと思い、大学に入るときも建築学科しか受けなかったんです。

「経験だけで仕事をやるんじゃない」

 ――学卒後は、「山本理顕設計工場」に進まれたとのことですが、きっかけをお聞かせください。

 迫 当時、日本で“都市論”を真正面から語り、それを形にしている人が2人だけいました。1人は、代官山ヒルズを手がけた槙文彦さん。もう1人が、山本理顕さんでした。その山本さんが手がけたのが緑園都市(横浜市)で、新設される駅周辺のエリアに建築家としての独自の都市論を持ち込んで、実際にどんどん建てていっていた。それが、またかっこいいと思って、山本さんのところで働きたいと思ったのです。

 ――山本理顕設計工場では、何年くらい勤められたのですか。

 迫 8年いました。結果、3つのプロジェクトを担当しまして、最初のプロジェクトは入社して2カ月くらい経ったときのものです。広島西消防署のコンペがあり、それを担当しました。これは当時、広島市が「ピースアンドクリエイト2045」という企画を進めていまして、それは著名建築家を招いてコンペを行い、良いものを残していくという企画でしたが、それを1人で全部任せてもらえました。私もチャンスを活かそうと思って、もともと製図室でもどこでも寝るのは得意でしたので(笑)、連日事務所に泊まり込み、すべてをコンペに注ぎ込みました。結果は運良く当選することができました。

 基本設計に入ると、普通は先輩スタッフが設計チームを率いるようになるのですが、私がそのままプロジェクトリーダーとしてやらせてもらい、竣工までやり遂げました。それが、ものすごく良い経験になりましたね。

 ――今のお仕事のベースになっているということですね。

 迫 そこで学んだことは、山本さんも公言するように、「経験よりも大切なのは、そのプロジェクトをいかに自分が成功させたいと思ってやるかだ」です。ですから、自分がやれることは、とにかく全部出し尽くすこと。懸命に取り組んでいると、周りが自ずとサポートをしてくれるようになるんですね。

 そして、2つ目が東京の東雲キャナルコートCODANという公団(UR)住宅でした。URとしても、事業の方向性を都心賃貸にシフトする目玉プロジェクトでした。

(つづく)

<COMPANY INFORMATION>
SAKO建築設計工社
代 表:迫 慶一郎
設 立:2004年2月
資本金:10万米ドル
URL:http://www.sako.co.jp/

<プロフィール>
迫 慶一郎(さこ・けいいちろう)
1970生まれ、福岡市出身。筑紫丘高校を卒業後、東京工業大学に進み、96年東京工業大学大学院修了。山本理顕設計工場で8年間の勤務を経て、2004年SAKO建築設計工社を設立。04年~05年には、米国コロンビア大学客員研究員・文化庁派遣芸術家在外研修員を務め、北京を拠点に現在までに100を超えるプロジェクトを、中国、日本、韓国、モンゴル、スペインで手がける。

 
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