震災の爪痕いまだ生々しく、復興と再開発が同時に進む熊本市(前)
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2回におよぶ震度7の大地震の後、2017年4月7日までに計4,286回の余震が発生した熊本県。発生から1年が経ち、73万9,471人(3月1日現在の推計)が暮らす政令市・熊本市では、混乱が落ち着くとともに、ようやく解決すべき課題が明確になってきた。震災から1年を迎える熊本市の現状をレポートする。
2019年春の復旧目指す熊本城天守閣
熊本の繁栄の基礎を造ったことで「せいしょこさん(清正公)」と親しみを込めて呼ばれる戦国武将・加藤清正が、約400年前に築城した熊本城。1877(明治10)年の西南戦争では、西郷隆盛率いる薩軍約1万4千の猛烈な攻撃に対し、官軍4千が耐え抜いたことで難攻不落の堅牢な造りが証明された。その後、89(明治22)年7月に発生した地震(M6.3)も乗り越えた熊本城は、まちの繁栄と安寧のシンボルとして、熊本市民の誇りであった。
今回の熊本地震では、2016年4月16日の本震(M7.3)により、建造物7棟(重要文化財2棟含む)の倒壊をはじめ、建造物33棟が破損。石垣の約1割(約8,200m2)が崩落し、陥没・地割れは約70カ所(約1万2,345m2)におよんだ。ほとんどの瓦と鯱が落ちた天守閣の痛々しい姿は、市民に大きなショックを与えた。市民の精神的支柱となる熊本城の復旧は、重要テーマの1つだ。
地震後から、被災した石垣や建造物などの部材回収や倒壊防止などの対策が行われてきた。そして、いよいよ復旧工事の段階に入る。天守閣は4月中旬から、19年春の公開を目指し、本格的な復旧工事に入る(写真1)。一方、石垣が崩落し、1本の石組み(一本石垣)だけで支えられていた「飯田丸五階櫓」(写真2)では、高さ約14m、長さ約33mの鉄骨を、櫓を囲い込むように配置し、一本石垣周囲の空洞部分に受梁を差し入れ、倒壊を防いで安全性を確保。今後、本格的な復旧工事が行われている。
市内のもう1つの歴史的観光スポットである「水前寺成趣園」では、地震後、底が見えるほどに枯れてしまった池の水位が戻り、今では地震前の風景を取り戻している(写真3)。池の水位が減った原因は、地震の影響で水脈に変化が生じたためという説もあるが、水が戻った理由とともに不明。長寿の大鳥居が倒壊し、跡形もない表参道(写真4)は寂しさを残しているが、観光集客の回復に地元は期待を寄せる。
熊本城を囲む市内の街並みにも、復興にはほど遠い状況が見てとれる。解体工事が進み、所々で駐車場に転用された宅地や売地を見かけるが、いまだ方々に残っている危険家屋が震災の被害を生々しく伝えている。震災の被害が大きかった西区二本木地区には、家屋の解体によって広大なスペースが生じている場所(写真5)もあれば、解体工事中の建物(写真6)や、倒壊したままの建物、立入が制限された建物も多い。熊本地震以後発生以後の地震回数は、4月7日現在、4,288回。震度3以上で550回におよぶ。頻度は減っているが、今なお、余震は発生しており、地震によるさらなる建物の損傷の懸念が、住宅の建替えや改修にブレーキをかける一因になっているという。
(つづく)
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