2024年04月19日( 金 )

長崎の人の魅力を観光資源へ!受け入れるDNAを生かす「進化するまちづくり」(中)~田上富久長崎市長

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波及効果を意識した集客

 ――中心部の集積という点では、国際コンベンションなどを行うMICE施設を含めて長崎駅周辺エリアの再開発が浮かびます。同エリアでは、長崎警察署や県庁の移転もありますが、田上市長のまちづくりのなかでは、どのように位置づけられていますか。

世界遺産に指定されたグラバー邸

 田上 ここ5~6年で相当大きく変わると思いますが、事業でいえば、九州新幹線西九州ルートの建設計画、JR長崎本線の連続立体交差事業、長崎駅周辺の土地区画整理事業が一緒に進んでいるなかで、MICE施設を核にした交流拠点施設もそのなかに入ってきます。

 約450年前、町建て(1571年)で6町(島原町、大村町、外浦町、平戸町、横瀬浦町、文知町)が誕生して以来、歴史の表舞台に「長崎」の名が出てきますが、そのころから交流で栄えてきたというアイデンティティがあります。おもてなしの市民性も歴史のなかで育まれてきました。そういう意味では、今回の長崎駅周辺の再開発は、「交流のまち」が未来に向けて、新たな人を呼ぶ集客装置機能を持つことになると捉えています。

 新幹線で関西方面からの人の流れができ、MICE施設で集客の幅が広がり、そうした集客装置が、そこで完結することを目的とするわけではなく、たとえば、MICE施設に会議やイベントなどでたくさんの人々が長崎に来て、その後は、長崎のまちなかに繰り出してちゃんぽんを食べたり、経済波及効果を広くおよぼすことが目的だと思っています。

 ――大切なのは動線といったところでしょうか。

 田上 動線もつくっていきますが、観光客が訪れたくなるような魅力もつくっていかないといけません。今、「2つの世界遺産があるまち」を目指していますが、まちなかの魅力づくりとして、ここ5~6年ぐらい、まちの魅力の見える化を図る「まちぶらプロジェクト」を展開しています。このプロジェクトは、新大工から浜町を通り、大浦に至る軸を「まちなか軸」として設定し、市、和、商、中、洋の5つのエリアごとに整備を進めるとともに、市民の皆さんの取り組みを認定事業としていくものです。昔から、グラバー園、大浦天主堂、平和祈念像を回って「長崎を見てきました」と言われていましたが、まちのなかに入り、見たり、買ったり、まちの人と話したりすることが「長崎の魅力」だと言われるように目指しています。

 ――三菱重工の幸町工場の跡地の活用が注目されています。市中心部にある約7haのスペースの変化について、どのようにお考えですか。

 田上 もともとあのエリアは、長崎県の「ナガサキ アーバン ルネッサンス2001構想」に基づき、ビジネスパークという位置づけがされていました。都市計画マスタープランのなかでも、工場から商業用地へ土地利用の転換をすることが望ましいとしているエリアです。今回、三菱重工さんの工場再編で空くことになりますが、その活用については、まちづくりに生かせるよう県、市も参加するかたちで「幸町工場跡地活用検討会」を昨年2月から開き、議論を重ねてきました。そのなかで、市のまちづくりの方向性とともに、雇用の創出や、先進性をもった活用をしていただきたいと伝えており、三菱重工さんからは、「住む・働く・楽しむ」という方向性が示されて募集が行われています。

(つづく)
【聞き手・文:山下 康太】

<プロフィール>
田上 富久(たうえ・とみひさ)
1956年12月10日生まれ。80年10月、長崎市役所に入所し、観光部観光振興課主幹、企画部統計課長などを務める。2007年4月の長崎市長選挙で初当選。現在3期目。日本非核宣言自治体協議会会長、平和首長会議副議長、長崎県市長会会長、全国市長会相談役を務める。趣味は、映画鑑賞とさるくガイド。

 
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