写真集「脊振讃歌」出版へ
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大学時代に所属していたワンダーフォーゲル部(ワンゲル)の活動拠点だった脊振に通うようになったのは49歳の時、ふらりと脊振山系の金山に出かけたのがきっかけだった。
福岡市早良区に住む私にとって、脊振は登山口まで車で30分の距離であり、たくさんの自然が残されている魅力的な山だ。私は好きなカメラを携え脊振の花や自然の光景を撮り始めた。
今までネガフィルムしか使用してこなかった私にとって、ポジフィルムでの撮影は初めてで、随分苦労をした。ネガフィルムと違い、ポジフィルムは繊細なフィルムなのだ。
ネガフィルムは少し露出が違っても、さほど色が変わらないが、ポジフィルムは露出が0.3変わっても色が変わってしまう。そのため露出計は欠かせない。
プロの写真家は別売りの露出計で明るさを測り、シャッタースピードと露出を決める。私はカメラに内蔵されている露出計を頼りにした。
ポジフィルムの色再現はネガフィルムとは比べものにならない。 ISO感度が低いほど色の再現が良くなるが、反してシャッタースピードは低くなる。
色再現の良い ISO50のフィルムを ISO100または200に増感現像を指定して現像をお願いすることもあった。増感することでシャッタースピードは上げられるようになる。
写真撮影は露出とシャッタースピードで決まり、写真の現像は光と影をフィルムに焼き付けることにある。フィルムは銀塩を多く使うと感度が上がるが、粒子が荒れる。
シャッタースピードが低いと三脚を使わない限り手ブレがおきる。またレンズの絞りを開放近くにすることで背景にボケをつくるのも重要な要素だ。背景のボケをつくることで主人公(花や人物など)が生きてくる。
デジタルカメラが登場する前はカメラの技術がいる時代だった。書店で写真に関するマニアむけの月刊誌を購入して構図やデータを学び、図書館にある写真集にもたくさん目を通した。
今はデジタルカメラが普及し、精度も良くなったので、技術的な苦労は少なくなった。
ポジフィルムはフィルム代、現像料もネガに比べて割高だ。当時、マニアやプロはコダック製のフィルムを好む人が多かったが、私は購入しやすいFUJIフィルム製のものを使った。
ウイークデイは会社の仕事を充実させ、土日の休日は脊振に通う日々が続いた。
営業マンだから、日々の売上に追われていたが、ONとOFFとをうまく切り替えることでストレスはあまり感じなかった。
カメラ店にフィルムを現像しに行き、「自分のイメージ通りに撮影できただろうか」と、ワクワクしながら仕上がりを待つ。カメラ店に行くのが楽しみだったが、時には撮影に失敗して落胆することもあった。
仕事の合間に書店で見かけた「英彦山の花」という写真集との出会いがあった。「きれいだ、私もこんな写真を撮りたい」と感じた私は、著者に手紙を出し、田川郡添田町在住のご自宅をお尋した
田川は青春時代を過ごした炭鉱の町だ、筑豊の田川という名前にも惹かれて、お尋ねしたのである。
著者の崎山欽一郎氏は高校の生物の先生をされた方で、コケの研究で毎日顕微鏡を覗かれていたようだ。崎山氏は私に親切に撮影のノウハウを伝授してくれた。「英彦山の花」に刺激されて、花への撮影に一層熱が入るようになった。
脊振の撮影を始めて10年が経った。慣れないポジフィルムの撮影に失敗しつつも続けてきたため、フィルム数のストックが随分とできていた。
記念として10年間撮影した写真を写真集にしようと思い、写真集の出販準備に取りかかり、フィルムの選択作業を毎日続けた。
たくさんのポジフィルムの選択、指紋がつかないよう編集用の手袋をし、1コマごとにハサミで切り取りマウント(1コマごとに取り扱いできるようにする事)する作業、スリーブ(長いまんまのフィルム)写真にハサミを入れる作業で失敗は許されない。大切な写真を途中から切り落とすと取り返しがつかないため慎重な作業が続いた。
NHKラジオの深夜放送を聴きながらの作業は楽しい一時でもあった。マウント作業をしていくなかで写真集に採用できるコマ数が意外と少ないことに気づいた。「下手だなー」たったこれだけしか満足できる写真がないのかと落胆もした。
写真集の出版にあたり、家内が家内の仕事場に出入りする出版社を紹介してくれた。その出版社の経営者は大学の同期だった。私の大学は小規模だったので、彼の顔はある程度知っていた。「やー、君かー」ヨット部に席を置いていた櫂歌書房の東氏だった。
出版に向けて東氏とのやりとりが続き、自宅にもよく来てくれた。頭が下がる思いだった。それから半年、納得いく写真集へと仕上がっていった。費用面は家内が援助してくれた。
平成20年(2008)2月に全国の書店で写真集「脊振讃歌」が販売となった。価格は1,800円に設定し、部数は1,000部。
東氏の提案で、出版記念パーティーを行うことにした。大学のOBとして施設を借り、ワンゲル仲間、友人、趣味の仲間、仕事関係者に招待状を出した。
趣味の弓道仲間で、九州交響楽団コントラバスの首席奏者である深沢功氏に祝賀の演奏をお願いすると彼は快く引き受けてくれた。
参加した仲間たちはプロのコントラバスとピアノのデュオの演奏に魅了されたようで、「癒しのひと時だった」と言ってくれた。
写真集「脊振讃歌」の出版がきっかけとなり、脊振山系道標設置事業へと進展していくことになるのだが、その話はまた次回…。
山に来て カメラを下げし 草花に 我は今日も レンズ向けつつ
※大学を卒業して8年ほど写真業界に勤務していましたので、写真に関する知識は多少あります。
2019年4月24日
脊振の自然を愛する会
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