2024年04月25日( 木 )

「シーサイドももち」開発の歴史~土地利用の検討期間中にダイエーが南海ホークスを買収、ツインドームシティ計画を提案

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 1989年6月、福岡市では、国際化、情報化の進展や市民意識の多様化など、新たな時代のニーズに対応した、あるべき土地利用を再検討するため、学識経験者、市職員などで構成する「シーサイドももち土地利用検討委員会」を設置した。

 7月に第1回目の会議が開催された。第1回目の内容は、現地視察後、会議を開催。これまでの経緯を説明するにとどめ、2回目から本格的な検討に入ることにした。

 具体的な検討に入る2回目の開催に向け、福岡市内部で検討している最中の9月、南海ホークスがダイエーに身売りすると発表された。

 実は1987年末に、「古代アジアの玄関口」とされる鴻臚館(こうろかん)遺跡が平和台球場の改修工事中に発見されたため、遺跡の発掘を進めるとともに同所を歴史公園として再整備することが計画され、球場の存続が困難となっていた。

 庁内では、ホークスの買収が本当なのか?本当であれば、存続が困難となっている平和台球場にかわる新球場の移転先をダイエーがどこに希望するのか、誰が新球場を整備するのか、などを見極めるため、第2回目の検討委員会の開催時期を当初予定より延期し、成り行きを見守った。

 最終的には、11月にダイエーグループから福岡市に対し、シーサイドももち内に「福岡ツインドームシティ」を建設するという申し入れがあった。それを踏まえ、福岡市は12月に第5回の検討委員会を開催。シーサイドももちの土地利用ゾーニング案をまとめ、福岡ツインドームシティ受け入れが可能となるよう、スポーツレクリエーションゾーンを位置づけ、具体的な施設例として、アリーナ(多目的屋内スポーツ施設)・フィットネス施設、アミューズメント施設などとしてゾーニング案に記載した。

 これと並行して、地域経済、とくに唐人町商店街は、ツインドームシティの商業施設などが建設されることによって、大打撃を受けるのではないかという不安が噴出した。そのため、福岡商工会議所内に会議を設置し、福岡市に要望書が提出される。

 1990年4月、「シーサイドももち土地利用検討委員会」から「シーサイドももち土地利用検討報告書」が福岡市長に提出された。

 同年9月4日、福岡市とダイエーグループは福岡ツインドーム用地の土地売買の仮契約および協定書を締結。用地契約のなかで、非常に稀なケースとして、ドーム用地部分については、公共性が非常に高いなどの理由から、土地単価の20%減額で契約している。仮契約後の9月26日に福岡市の9月議会に提案され、可決された。

 1993年4月に福岡ドーム(現在の福岡ヤフオクドーム)が完成。このドームはホークスのフランチャイズ球場としてだけではなく、マイケル・ジャクソンのコンサートが開かれるなど、さまざまなイベントが開催できる多目的ドームである。アリーナは、東京ドームの約1.4倍。注目すべきは、日本初の開閉式ドームということであった。

 第2弾として九州最大規模のリゾートホテル「シーホークホテル&リゾート」(現在のヒルトン福岡シーホーク)が1995年4月に開業している。地上35階、客室1053室の巨大ホテルで、最大4,000名規模のコンベンションが可能な日本最大級のコンベンション施設ができた。「福岡ヤフオクドーム」と「ヒルトン福岡シーホーク」という2つのコンベンション施設が同時に同じ場所にできたことになる。

 現在福岡市が、中央ふ頭に推進しているMICEが、この時点でできたことになり、福岡市の新しい都市づくりにとって大きな弾みになったわけである。

「福岡ソフトリサーチパーク」

 福岡市は、1988年4月に策定した、マスタープランにシーサイドももち地区に研究開発型の企業が集積し、新製品開発に対する支援施設や、技術・情報交流の場などを備えたゾーンとして「ソフトリサーチパーク」ゾーンの整備が位置付けられた。

 福岡市は、1990年3月 ソフトリサーチパークの公募を開始した。全体面積5.8ha、6区画。応募資格は、ハード(コンピュータ機器)、ソフト(ソフトウエア)、両方の実績をもつ企業で、総合コンピューターメーカーとした。

 また、応募条件として、地場情報関連企業の集約化などを図るため、福岡市が中心となって設立を計画している第三セクターへの資本参加、人材派遣などの支援協力を行うこと。当時、地区内で検討を進めていた、地域冷暖房の導入への協力要請と、利用することなどを努力義務とした。

 公募の結果、7グループから提案があった。

 東芝が1993年8月に竣工予定のビルを福岡市中央区長浜に敷地面積4,597.85m2、延床面積25,463.71m2 地上17階、地下1階を計画、実施していたことから、東芝以外の松下電器産業、日本電気、富士通、日立の総合コンピューターメーカーからの提案、また、韓国の財閥系の大宇、日本IBM、ほか1グループから提案があった。

 最後の1社は、ソフトウエアのみの企業だった。この企業は、公募条件と異なることを理解したうえでの提案である。審査の結果、当該1社以外が当選案となった。

 その年6月に土地売買の仮契約、定例市議会に提案、可決となる。

 1992年9月、第三セクター、(株)福岡リサーチパークが設立。立地した企業のほとんどは、福岡市は人材確保がしやすい。また、地理的条件として、アジアに近いということも魅力と言っていた。その当時から、福岡市の魅力を企業は感じていたようだ。福岡市としても、大学卒業後、人材が関東などに流出するのを避けたいと考えており、両者の思惑が一致していたといえよう。

 

 政令指定都市中、最も高い人口増加率を誇る福岡市。下記は前述のシーサイドももちの開発、都市高速や地下鉄などの交通インフラ整備など、同市の発展に寄与してきたまちづくりの年表である。

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