2024年04月24日( 水 )

石炭からセメント、さらに医療へ 教育にも注力する飯塚の古豪(前)

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麻生グループ

 九州地場の石炭事業者として知られた麻生グループだが、近年はグループ全体で成長している。これまでは総理大臣も務めた麻生太郎氏の弟・泰(ゆたか)氏が担ってきた同グループは、息子の巌氏が経営に携わるようになってから、グループ再編への動きを活発化。セグメント同士の相互関係を強めながらM&Aも有効に活用している。

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若社長・麻生巌氏

 石炭事業主力だった時代から変わらず飯塚に本拠を置き続ける(株)麻生率いる麻生グループ。同グループを語るときに欠かせないのは創業家である麻生家の華やかな血脈だ。中興の祖・麻生太賀吉と吉田茂元首相の三女・和子氏が結婚したことで血縁関係をもち、その後は太賀吉の三女・信子氏が寛仁親王からの求婚を受けて皇族に嫁ぎ、縁戚関係をもったことでその影響力は決定的なものになった。

 現在、同社には「麻生」姓をもつ取締役は少ないが、会長である麻生泰氏と並んで存在感を放つのが2010年に40歳の若さで同社社長に就任した麻生巌氏。動画共有サービス・ニコニコ動画を運営する(株)ドワンゴに社外取締役として参画しているなど、福岡外での交友関係をもっている。

炭鉱からセメントへ、主業変遷で継続

 同社の姿勢が際立つのは炭鉱事業を出発点としながらも、現在も創業家が経営の中心にいるという特異性だ。それを実現しているのは、その時々の中核事業が好調な時期に次善策を準備する用意周到さにある。

 たとえば同社が中核と位置付けるセメント事業は、戦前期の九州産業鉄道(株)を端緒とし、戦後に中核企業の麻生産業から分離独立したものだ。この時の独立を当時代表だった麻生太賀吉は「セメント事業の独立性をもたせたかった」と述懐、同じ“ヤマ”に由来する産業だが事業体が違うことを理由に挙げている。

 その気風は近年も変わっていない。1984年に福岡市で設立した(株)アソウ・テンポラリーセンターは、その4年後には九州トップクラスの規模とシェアを誇る人材派遣事業に急成長、現在は(株)アソウ・ヒューマニーセンター(以下AHC)としてAHCグループという企業集団を形成、その中核企業となっている。先述した巌氏が入社後に改革を立案した病院のコンサルタントといった医療関連事業も現在はグループ全体をけん引する事業となっている。

グループ内では協力強化

 セグメント別でみれば、依然として麻生グループの中核的事業はセメント事業が主になる。19年3月期の売上高は373億8,100万円、グループ内でも21社が属しているほか、商社・流通事業を牽引する麻生商事(株)が建築資材の販売を主とするなどほかセグメントとのシナジーを有している。同事業にはスーパーマーケットASOを運営する麻生芳雄商事(株)を含む3社が所属、事業別売上高は4番目に大きい292億3,600万円。

 セメント事業に並ぶ医療関連事業の19年3月期売上高は394億1,100万円で前年度比3.6%増となるなど現在も拡大している。

 近年、注力されている人材・教育事業はAHCを中核とするAHCグループが中心となって行っている。同グループの特徴は構成する企業でそれぞれ専門的な人材の派遣、紹介を行うなど細やかな展開をしている点で、管理部門、製造技術分野といった職種特化から放送業界のような業種特化で、近年まで看護師の専門転職サイトを運営しているなど、ここでも他事業との関連が見て取れる。コムスンから引き継いだ介護・福祉事業も含めた同セグメントの19年3月期売上高は196億2,400万円だった。

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(つづく)
【小栁 耕】

<COMPANY INFORMATION>
(株)麻生

代 表:麻生 巖ほか2名
所在地:福岡県飯塚市芳雄町7-18
設 立:1944年11月
資本金:35億8,000万円
売上高:(19/3連結)1,980億7,400万円

(後)

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