2024年04月19日( 金 )

貴方の安住の地はお墓・納骨堂?

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 筆者は宮崎出身、最愛の妻は鹿児島出身で、年に2回、墓参りのために帰省している。宮崎廻り、鹿児島経由など、その都度コースを選択してきた。帰省したらホテルで1泊するようにしている(都合で日帰りということもあった)。車での走行距離は780kmあまり、走破してもそれほど疲労感はない。ところが今回の墓参りはいつもとは違っていた。鹿児島への墓参りはこれが最後になるからである。

鹿児島市の共同墓地管理は日本一か

 妻の実家の墓は彼女の弟が引き継いでいるが、今年10月で墓を閉鎖し、運営している鹿児島市に返すことにした。彼女の弟は、福岡市内にある同じ宗派のお寺の納骨堂に両親共々、納めることにして、やがて自分たちもそこに納まる覚悟をしたのである。だから、今回の鹿児島への墓参りが最後になるのだ。

 郡元共同墓地は紫原台地の途上に開発されている墓地で、桜島を正面に望む絶景のロケーションにある。ただし、桜島の噴火をまともに受けるため、墓石が噴石・砂を被ってしまうというマイナス面もある。

 墓周りを清掃して墓石を磨き、水をかけながら「この50年間、幾度お参りにきたかな」と自問した。おそらく100回は越えているだろう。「次はいよいよ俺たちの番が近づいてきたな」と実感した。兄弟が順番に倒れていく様に夫婦共々、直面しているから他人事ではない。

 島津藩の時代から受け継がれてきたのだろうか。鹿児島県人は祖先を大事にする気持ちが強い。その影響を受けてなのかどうかは定かではないが、鹿児島市は市民の共同墓地の運営管理について、非常に神経を使ってきたようだ。

 宮崎出身の筆者は当初、先祖供養に関するインフラ整備を重視する鹿児島市の運営方針に尊敬の念を抱いたものである。また、月命日にも墓参りをする人が多い鹿児島市民の先祖を敬う強い気持ちに、驚いたのと同時に深い感銘を受けた。

無縁仏・空墓石・空き地が1/4

 月日は流れ50年、鹿児島を離れた方々もたくさんいる。当事者なら、墓参りと合わせて里帰りもしていただろう。しかし、2代目、3代目になれば、どうしても疎遠になってしまう。

 不運な人生を送られた方もおり、音信不通になったというケースも珍しくなくなった。周りが草ぼうぼうの墓もいたるところで見かける。墓石も失くし、空き地・無縁仏も目立ち始めている。

 長く手入れされていないであろう墓石の裏側を見ると、最後の故人の名前が明治41年、大正6年と記された墓を発見した。その後は放置されているのである。そんな墓がざっと見たところ4分の1ほどあるではないか!

 鹿児島市のホームページを調べてみると場所によって違いはあるが、1m2の永代使用料が53,000円、7万円と記載されてあった。しかし、公募をしても、なかなか名乗りでる人が少ないという。

宮崎は納骨堂がはやり

 宮崎では代々のお寺さんの納骨堂に両親・先祖を納めている。先だって兄夫婦が17年の永代供養代を払ったことを記した。そうなると筆者夫婦の安住の地確保が緊急の課題となる。

 宮崎の納骨堂参りは鹿児島の墓参りと比較すると格式がないというか重厚感に乏しい。しかし便利ではある。我が家の納骨堂の3軒隣は幼馴染が家主になっているところなので、ついでに拝んだ。一昨年に亡くなった長女が納められている嫁ぎ先の納骨堂があるので、深々と拝礼した。至極便利である。

 帰福して迷っている。安住の地をどこに求めるか!今のところ、墓を確保することに気持ちが傾いている。貴方は安住の地をどこにしますか?

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