2024年03月29日( 金 )

『盛和塾』稲盛塾長、最後の講演(1)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 盛和塾は、京都の若手経営者が、京セラ(株)の社長(当時)・稲盛和夫氏に、人としての生き方「人生哲学」、経営者としての心の持ち方「経営哲学」を学びたいとの思いから、1983年に誕生した自主勉強会からスタートした。

 稲盛氏は、心ある企業経営者こそが明日の日本を支えるとの信念に基づき、これまで盛和塾の活動してきた。現在、その活動は日本だけでなく、海外にまで広がっている。

 2018年12月5日、盛和塾は公式HPで、稲盛塾長が体力の面から、これまでのように精力的に活動に参加できないことや、過去より「盛和塾は一代限り」と表明していたことから2019年末で盛和塾本部ならびに各地盛和塾の活動を終了すると発表した。

 塾長として稲盛氏の最後の講演となった2019年夏の全国大会の講演内容をNet I・B Newsで紹介する。

 1983年に京都の若手経営者の要請にお応えして始まったこの盛和塾が、日本のみならず、世界各国へと広がり、今や塾の数は100を超え、1万5,000人に迫る塾生が私の経営哲学を学び、業績を向上させ、従業員の幸せを実現しようと努めていただいていることを大変うれしく思うとともに、感慨深いものがあります。

 こうして世界大会で一堂に会した塾生の皆さまに向けて、私が塾長として直接講話をさせていただく機会は、これで最後となります。この最後の大会を締めくくるにあたり、私からは「フィロソフィをいかに語るか」と題して、お話ししたいと思います。

 フィロソフィを経営者自身が実践するのみならず、全従業員と共有することの大切さについては、この盛和塾で皆さまに何度もお話ししており、多くの塾生がそのことに努めていただいていることと思います。しかしながら、一方で、「フィロソフィが社員に浸透しない」「フィロソフィに反発する社員がいる」といった声も少なからず耳にすることがあります。

 もちろん、その要因は、個々の企業によってそれぞれ異なるわけですが、根本的には、フィロソフィをなぜ従業員に説くのか、いかに説くべきかということについて、よく理解されていないことに原因があるのではないかと私は考えています。

 そこで、本日は経営者である皆さまが従業員とフィロソフィを共有するにあたり、大切だと私が考えていることについてお話ししていきたいと思います。

 まずは、フィロソフィとはどのようなものなのか、改めて振り返ってみたいと思います。

 皆さまご存じのように、私の人生哲学であり、経営哲学でもある「フィロソフィ」の始まりは、京セラを創業する前に勤めていた松風工業時代に遡ります。

 劣悪な研究環境のなかであっても、すばらしい研究成果を上げていくには、どういう心構えで人生を生き、仕事にあたるべきなのか当時の私は毎日のように必死で考えていました。

 そして自らに問い、悩み、苦しみながら、考えに考え抜いたことを研究ノートの端に記録していきました。

 また、京セラを創業してからは、その自分なりの人生・仕事の要諦のようなものを書きためていたノートを引っ張り出してきて、経営に携わるようになってから気づいたことを書き足していくようにしました。

 これが私の人生哲学・経営哲学の原型であり、それをまとめ直したものが現在の「フィロソフィ」です。

 実際に、私のメモが今も残っています。そこには、「仕事に徹し、謙虚な精神のもと、素直に物事に取り組んで、全身全霊を打ち込んでやろう」「我々は苦難を怖れない、正々堂々とやろう」「我々は人一倍やって、人並みのことができると考えよう」「人間の能力は無限であることを信じ、飽くなき努力の追及を続けよう」といった言葉が記されています。

 現在のフィロソフィの中核を構成する概念が、すでに明確に示されています。

 私は、こうした自らの信念というべき考え方を仕事で実践すると同時に、従業員と共有するように努めました。それは決して、「こういう考え方でみんなが働いてくれれば、会社の業績が良くなる、自分が楽になる」といった打算からではありませんでした。

 京セラの従業員にフィロソフィを説く私のベースにあったのは、何よりもみんなに幸せになってほしいという純粋な思いでした。「こういう考え方で生きていけば、充実した幸せな人生を送ることができるはずだ」と強く思っていたからこそ、より多くの人々にそのことを知らせたかったのです。

(つづく)

(2)

関連記事