2024年04月20日( 土 )

『盛和塾』稲盛塾長、最後の講演(8)

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 「そうだ、確かにあなたがいう通り、私は冷たかったかもしれない。だが問題は、なぜ冷たくしたのかだ。今までずっと赤字を続けてきた会社の社長が黒字を出した。しかし、あの時の黒字は豆粒ほどの黒字でしかなかった。一方、今までの累積赤字たるや相当な額になっている。それで褒められるだろうか」

 「もし、それを私が褒めたら、彼は喜ぶかもしれない。だが、彼自身がそれでよしとなってしまったらどうだろう。『雇用を守っていく。従業員を幸せにしてあげたいと思っている』と私は言った。

 それには、毎年毎年十分な利益を確保し、またその拡大をはかっていかなければならない。しかし、そんなわずかな利益では従業員の賃上げどころか、雇用さえ守っていけるはずがないだろう。だからこそ、私は彼に『そんなもの利益のうちに入るものか』と厳しく言ったのだ」「それを聞いた彼は大変落ち込みもしたかもしれない。また、私を恨んだかもしれない。しかし、私は彼自身のこれからの人間としての成長も考えて、あえて恨まれてもいいと思って、そう言ったのだ」

 「翌年、彼は頑張って、さらに大きな利益を出してきた。そして、今では十分な利益が出るようになったので、私は今は『立派なものだ』と彼を褒めている。しかし、もしあの時、あの微々たる利益で私が褒めていたら、彼は経営者として、また人間としてそれ以上成長しなかっただろうし、今日の立派な会社にはなっていなかっただろう」

 そのように、私は本音に対して本音をぶつけたわけですが、みんなを引っ張っていくための対話というものは、このようなストレートなものでなければならないと思います。

 恐れずに従業員のなかに入っていって本音で会話をしてください。その会話も、取ってつけたみたいに中に入っていけば警戒されますから、コミュニケーションが取りやすいかたちを工夫して考えていくことが大切です。

 私の場合には、コンパというかたちをとりましたが、皆さまの場合には、それぞれの会社の環境、また従業員の個々の状況をよくよく考慮したうえで、最もふさわしいコミュニケーションの場をつくり、本音で対話することに努めていただきたいと思います。

 第四に、フィロソフィを説く経営者は、従業員とともに自らも学び続ける姿勢をもたなければなりません。

 いかに経営者自身がフィロソフィの力を強く信じ、日頃から率先垂範に努めたとしても、完璧には実践できないのが人間です。

 それでも、「人間としてこういう生き方をすべきだ」「経営者として、こういうリーダーになるべきだ」ということを理解して、少しでもそれに近づこうと懸命に生きている人と、そう思わずに漫然と生きている人では、人生や経営の結果はまったく違ってきます。

 体得できるかできないかではなく、折に触れて反省し、体得しようと努力を続けることが大切だと、私は思っています。

 塾生の皆さまが社内でフィロソフィの浸透、共有に努めるにあたっても、よくよくこのことを理解したうえで話をしなければなりません。

 フィロソフィを完全に実行できる人はいないのです。ですから、以前にも申し上げましたが、経営者である皆さま自身が、率直に社員に次のように言わなければなりません。

 「私は、皆さまにフィロソフィを学べと偉そうに言っていますが、それを自分自身で実行できているわけではありません。

 いまだかつてフィロソフィのすべてを実行できたためしがありません。その意味では、まだ一介の書生であり、門前の小僧でしかありませんので、これから一生涯をかけて、実行できるよう努力していくつもりです」

 「しかし自分ができていないからといって、フィロソフィのことを教えなくていいというものではありません。

(つづく)

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